Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

独り寝の子守唄

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 大体、御世辞、儀礼にご挨拶など、通り過ぎるようなセレモニーであって、「お気の毒に・・」、「大変なんでんしょうね!」や「お手伝いできる言葉あればいつでもお声かけくださいね・・」などのお相手からのお声かけは、通りすがりの全くの社交辞令で嘘の塊!これっぽっちも相手にその心はないことはそう見ても誰もが判るコト。

 

 親族ですら、親や兄弟などの介護老人に手を焼き、四六時中、下の世話と食い物の補給に振り回されるだけだ。これでは、当然にして周囲は参ってしまう。自宅介護や擁護の現場は想像以上に過酷なのだ。

 

   「御心配です、御気の毒に・・」なぞ、歯の浮くようなお言葉は却って相手の心を傷つけるだけだ。本当は、そんな言葉より自分で生きコイテ、周囲に頼ることなく、自らが自分の人生に始末をつけなければいけないのが現実なのだ。

 

 自らが転んだところで、身内が心底我が身を案じて、だれが助けてくれるわけもでもなく、介護やお世話をしてくれる訳でもない。そう勝手に思ってしまうのは当の本人の甘えでしかないのかもしれない。相手の温情や人情にすがれるほど現実はそう甘くはない。

 

 人の世は、一偏通りの偽善や親切心に頼っているようには見えるが、そんなに格好のいい綺麗ごとの話でもない。世間一般に建前としては判るが、到底、互助、共助や扶助の精神がこの世に行き届いているとは思ってはいけない。みな自分の生活を維持すること、自分の命を支えることに必死なのだ。だからそうしたハンデイキャパッーは、最終的に施設送りか安楽死の道しかない。

 

 先月、独り故郷の田舎でしばらく床に伏していた時に、救急車のお世話にもなりたかったりもしたが、枕元のラジオから流れた一曲。「東京ララバイ!」、「ねんねん寝転んで~(^^♪おやすみしましょう~♪」の楽曲のフレーズ、韻を踏んだ歌詞に命が救われた気がした。

 

 最近ほとんどテレビは見ないが、犬HKラジオ第一放送の番組、「ラジオ深夜便」、「ラジオらじる」や「すッピン」といったラジオのスピーカーから流れる音声だけの世界に、想像力を掻き立てられ救われるような気がしている。

 

 また、明日もラジオを片手に番組を聴きながら、隣町の駅まで早朝散歩にでかけることにしたい。そうできることこそが、健康の証かもしれない「あ~!!ありがたや、ありがたや!!」、まだ、今日も命は繋がっている。