Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ダメだ、コリア!

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  「今日もまた病院かよ!」  「ああ、めんどうくせーなほんとに!」と、今日もあけすけな本音を綴る「玉の裏筋太郎」こと甲州屋徳兵衛。「セラー服と、一晩中」と行きたいところなのだが、そんな元気は今更ない。

 

   さて、今日の話は飛びに飛びまくる。朝ドラ「なつぞら」の「河村屋」は新宿の「高野フルーツパーラー」の設定とみた。三浦雄一郎加山雄三とご一緒にサントリーセサミン」のお抱えタレントに成り下がり、グレトラの田中陽希は「ノースフェイス」の広告塔。

 

    今やドラマも、ドキュメントもニュースも含め、番組はスポンサー意向でどうにでも製作され、事実が歪曲されたり誇張されたりする。バカな素人はそれを見て、ただ、ただ「なるほどね!」とウナヅクだけだ。

 

     最近、悪夢のような悲惨な事件や事故が相次ぐ。「千葉小4女児虐待死事件」、「池袋自動車暴走死亡事故」、「大津自動車死亡事故」や「川崎殺傷事件」などなど。その一方で安倍ちゃんも、「悪夢のような民主党政権」という言い方をした。その後に、おバカな萩生田が「あれは悪夢のようなではなく、悪夢です。」と言いきってしまった。が、ここが大間違い。

 

    言葉の使い方としては安倍ちゃんの方が正しい。「悪い夢の中だけで起こるような中で、考えられないような悪いことが起きた時」に、「悪夢のような」という表現をする。だから、弁解、謝罪会見であっても「隠蔽と云われれば、隠蔽だった!」などという言い訳も通るのだ。つまり当事者は事件や事故は現実を認めつつ、できることなら「悪夢」であってほしいと願う切実な姿勢が浮かび上がるのだ。

 

 でも、これらの事件や事故に関し、報道などでその後繰り返して議論されるのが、被害者側の感情だ。その一方で被害者を加害者にするような「被害者に、何か落ち度はなかったのか」という報道もある。やり方によっては「落ち度もないのに、被害者にあたかも過失があって、加害者側に手の打ちようもなかった」といったニュアンスの報道もいくつか見受けられる。

 

    こうしたことを段々重ねていくと、「千葉小4女児虐待死事件」の事件も、女児が必死に訴えているのに、教育委員会も児相も全く機能していないことに、本来、擁護されるべき被害者が、加害者の過失が原因のように見えてしまう。

 

     つまり、いつの間にか加害者にも止む得ない事情があって、事件を起こしながらも「見て見ぬふり」が容認されてしまうことになる。こうしたことは、「イジメ・虐待問題」に限らず、今や教育現場、組織や国家にも簡単に通用してしまうのが現実だ。

 

     最近問題の年金制度にしても、とうに制度破綻していると分かっていても、政府や担当大臣は強硬にそれを否定する。もともとお国が公式に金融審議会に諮問しておきながら、ひとたび「年金貰っても2千万円なければ喰っていけない!」との、選挙に影響するような答申がだされると、答申書の受取さえも拒絶する前代未聞のお粗末がまかり通ってしまう。

 

 「池袋自動車暴走死亡事故」では、加害者は足の状態が悪いので、医者から運転をしないように言われていた確信犯的な犯罪。でも、勲章や上級キャリアだから未だに逮捕もされない。その一方で「川崎殺傷事件」では、引きこもりの加害者の親族が、市役所に何回も相談に行っていたが、役所としては有効な処置はとらないまま「事なかれ主義」が優先された。その結果、いつの間にか、被害者が非難され、加害者が擁護されるような事態に陥る。

 

 こうした、事件や事故を起こす前に、加害者となりそうな人に対して手を打つことはできないのだろうか?天皇陛下に対し国賊、逆賊、戦争犯罪者呼ばわりをし、謝罪を求めることが、あたかも、国是として正当化され被害者ヅラをしながら、加害行為を繰り返す隣国こそ、その象徴かもしれない?