昔からオスは何故かしら、道具、工具やアイテムに固執する。普通のリーマンならスーツ、ネクタイやベルトといったところだが、それには全く興味がなかったのが当方のホンネ。つまり、それ以上に財布や腕時計などのちょっとした小物にステータスを感じるのだ。
田舎に行けば、ブル、バックホー、ショベカーやユニックなど、ことのほか重機を愛好するお方もいらっしゃるようだが、都会ではそれは叶わない。でも、少なくとも当方も六角ペンチ、プライヤー、糸鋸やスパナなどの道具愛好家が好むような小道具は、いつでも物置から取り出せるようになっている。
今日、ここにご紹介する当方のアイテムにはそれぞれに想いや思い出があって、なかなか「断捨離」出来ない。この小道具の一つひとつに、由緒、謂れを語れと云えば、到底本日一篇のブログだけではご紹介できない。少なくともここにあるだけで「十篇舎一句!」
財布はロンシャンに始まり、キタムラにハッシュパピー。腕時計と云えば、アニエス・べー、それにGショックにフェンデイ。でも、やはり男らしくこうした類は精密性と専用性を重んじるから、アウトドアには、プロトレックやガーミンを愛用している。趣味や仕事もそうだが、ここにこうした「男のコダワリ」と「主張」が現れるのだ。
使い古した道具やツールをわが子のように大切にし、不具合や動かなくなると金を掛けてでも直そうとし、それが叶った(直った)喜びなど、誰も判るはずもあるまい。男のコダワリとはそんなチンケの話のようだが、そこにこそオトコの「ロマン」があるのだ。
捨てるモノは何であろうと、一度決心したモノは「捨てる!」。残して置きたいモノは何が何でも「残す!」のだ。でも、イザ、捨てるとなると、そのモノの思いが蘇り、また、いつか又使えるでは?あの頃に戻れるのではないかと思ってしまうような錯覚にも陥る。
こんな状況になっても、使わなくなっても、使えられなくても大切にしていることがある。それは、ここにある腕時計たちだ。ある日、この時計の秒針が動かなくなった時に当方のすべての過去と、経験や命が消えそうで、常に動くことを気にしながら使わなくてもマメに電池交換だけはしている。
こんなアイテムのお話をすべてれば、いくらでも想い出のモノは物置からでてくるのだが・・ところで、「なんで、今日掲載のフォトには『お清め』がこんなに写っているの?」と訝る方も多と思うだろう。「だしょっ!」そこはそれ当方のこと、最近、弔事が多くて、香典返しに沢山ついてくるのよね~。
「そんな年になったのか?」と、終末を感ずるのであります。夏やスポーツ・登山時に脱水状態に陥り全身が痙攣した時は、このひと舐めが命を救う。「そのことを、あーた!ナメタラ、アカンゼよ!!最後に助けてくれるのは『お清め』の塩に、わが家の『置き嫁』のしょっぱさだ!」