朝の散歩中、「ラジオ深夜便」から「~せっ!」と聞こえた。何と言ったのか分からなかったが、もしかして「施」のことだろうか。「施」とは、ほどこしを意味する「お布施」のことだろうか。
まあ、朝のラジオ番組だからこうした教訓じみた話だろうなと思ってはいたが、妙に気になった。キャスターが「ナナセ」と云ったような気がする。当方、ナナセといえばタイトル通りの女性ロック歌手「相川七瀬」しか思い浮かばない。
もしかして、「ナナセ」という仏教用語かと、帰宅して調べてみると、あった、あった!ぜ。「七施」がございマッスル。これは、お金も費用もいらず何気に実行できるお布施のことらしい。そこでこの七つのお布施の中身を見てみると・・・。
慈しみの眼、優しい目つきですべてに接することだとある。でも、こんなことは誰に対してもワレはでけへん!
二、和顔施(和顔悦色施)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することらしい。そんなお人好しだったら、今の世、身ぐるみ剥がされる。それは出来ん!
物やさしい言葉を使うことだそうだ。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要とのこと。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うらしいが、そんな言葉ばかりでは相手はツケあがるばかりだ。だからそれもデケヘン!
これは自らの体で奉仕し、模範的な行動を、身をもって実践することのようだ。人の厭がるお仕事でも喜んで、他人のために気持ちよく働くこととある。あ~た!自身やれます~ウ?
五、心施(心慮施)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられかとの問いだ。ともに悲しむことが出来、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることらしい。人のご不幸や病気を一身に自分が背負うことなどマッピラ御免だ。
六、壮座施
わかり易く云えば、席を譲ることのようだ。疲れていても、電車の中でも喜んで座席を譲ってあげることを言うのだ。つまり、自分のライバルの為にさえも、自らの地位をゆずっても悔いないでいられることを指すらしい。だって、この世は競争社会、ぼんやりしていたら、貧乏くじはいつもアンタばかりが引かされて、周りにいつも出し抜かれるぜヨ。
七、房舎施
これが最後のご説法らしく、誰に対しても雨や風を凌ぐ所を与えることのようだ。例えば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてあげるように思いやりを持ってすべての行動をすることのだという。これって、本物のバカじゃねえ~の!!
以上が「無財の七施」というらしい、これが仏の立場に立っての慈悲の実践だともいう。
こんなんじゃ、到底、当方なぞ仏門さえ入れない。昨日起きた小学生等に対する殺傷事件、カリタス学園は名門校かもしれないが、登戸(オノボリ)と云う町は不審者出没全国第二位だ。武蔵小杉(ムコス)といいこの町といい「ニューセレブの街」と云われるがその昔は桑畑と車窓から手を伸ばせばナシが手に入る梨園ばかりの片田舎だった。これでこの界隈は物騒な街に成り下がるのは確実だ。
あまつさえ、こんな凄惨な事件に早朝散歩の途中でみた「墓ジマイ」の跡地を見ながら、これでも七施を施せというのかよ!と思うと急に世の全てに腹立たしくなった。