Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

散る桜、残る桜も散るさくら

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 萩、梅ときて桜。どうやら桜に儚さや無情そして人生を重ね合わせることができるのは、日本人だけらしい。ソメイヨシノも寿司の起源は我が国からだと言い張っている半島や大陸の方々にはこうした美学というか感性がないらしい。嘘はつき通せば真実になり歴史も変えられると心底そう思っているから彼らは救いようもない。だからこそ日本人に生まれて日本に育ったことを誇りに思う。

 

   なぜこんなに桜が好きなのか?『無情』とは、変わらないものはなに一つもなく、この世は常に万化し移ろい易い。そんな感性をもっているのは日本人であればだれもが解るはずで、その気持ちを象徴するのが桜という花なのだ。

 

 四季折々の季節を目と肌で感じ、自然のめぐりを常に見てきた日本人。一週間もしないうちに見事に散ってしまう桜。朝な、夕なに花びらは形と色を変える、一日のうちでも、そして毎日花が散るまで変化をし続ける。

 

 どなたがおしゃっていた言葉に「つぼみから1分咲きになり、3分咲き、5分咲き、8分咲き、そして満開と、その時々で見る側の気持ちも変わりますよね。咲いては散ってのくり返しに、人生を重ね合わせ『また次がある』という希望を感じさせるのかもしれません。」という印象的な表現があった。

 

 そして、「行事や人生儀礼は、一直線ではなく円を描くように繋がっているもの。いろいろな行事を通して人生にもリズムやメリハリが出てきます。結果的にさまざまな出来事を自分の中へ落とし込んでいくことになるのでしょう」とも評していた。

 

 散り際の潔さ、執着しない清廉さ、わだかまりも、こだわりもなく「日々是好日」とすれば、どんな厳しい、つらい現実をも受容できよう。そんなご立派な人間にはなれないが、拘りがあればこそ、余計にこの世に未練と執着を持ってしまうのだろう。

 

 桜の開花を前に満開となったモクレン。掲載写真は近所に咲き誇った「モクレン」の並木道。この花も桜と同じく誇らしげに見事な花をつけるが、とにかく散った後が汚い。何か当方の人生を暗示してるようだ。残った花もいつかは散る。でも、来春には再び見事な花を咲かせる。