Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ネガティブ・シンキング

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 人間、終わりが近づきだすと生きていた証と云うか、実存していた自分を外に向かってアピールしたくなるのが不思議だ。これは個人に限らず会社組織でも同じことが言える。社史、年史なぞを製作するのはその類の何ものでもない。

 

 自身が活躍して組織をここまで大きくし、今社員が安泰でいられるのはことあろうこの俺様が組織を守ってきたからだ。偉大なる自分を誇示しようと上げ潮の時に限って会社の利益にもならない歴史に膨大な力を注ぎ編纂を命じる。組織にしてこれだから、まして自分史を作ろうとするその衝動たるはかなり強いものになる。

 

 人間、前が向けなる時、向けなくなった時は、ついつい昔を懐かしんで「あん、時はよう・・!」とこぼしたくなる気持ちも良く解る。ネタや語りを過去に求め出したときは、何か一片の寂しさ、懐かしさや諦めが自分の心にあるからだろう。

 

 ふと思いだすのが、今から50年もの前の1969年7月20日午後4時17分(日本時間7月21日昼過ぎ)のことだ。当時、健全なる青年だった当方がいたのは、北岳の山頂だ。甲斐駒ヶ岳から荒川岳南アルプス縦走の途中でラジオから流れる報道を耳にした。

 

    アメリカのアポロ11号で船長のアームストロングと月着陸船操縦士のオルドリンによる月面着陸だ。にわかに信じ難たかったのだが、その当時初めて登った日本で二番目の標高を誇る北岳に初登頂した自分と人類初の有人月面着陸とが被っていた。だから、そのことをよく覚えている。

 

    時として、フラシュバックのように過去が蘇ってくることがある。記念写真、過去のスナップ写真に限らず、自分の中学時代の生徒手帳やスキー板、亡き父母の軍服、指揮刀や着物、免状などの遺品や遺物を見ては当時を懐かしむのは当方だけであるまい。誰彼に限らず机や家、物置の片隅に残っていたアイテムをみると鮮明に過去が蘇ってくるのが不思議だ。

 

   人間の脳は、自意識のないうちに記録が残されていて、何かの拍子にふと過去が帰って来るように思える。それを見なければやり過ごしてしまうのに、一旦それを見るとハッキリと過去が映し出される。

 

    掲載写真は、今も手元にある自分史の思い出の品のひとつ。切符の行く先を見ると東北、北陸、それに欧州まで足を延ばしたことが追憶の証跡として蘇る。でも、過去は過去として捨てなければ明日はない。さて、明日はどんな陽が昇って来るのやら?