もともと「能」、「狂言」も「歌舞伎」などは放浪芸で、「落語」や「漫才」もその類だ。まっとうな正道から外れた人たちが「流し」をしながら、食うために芸を身に着けたのが河原乞食(芸人)のはじまりなのだ。そして「三文芝居」もこれが起源となっている。
テレビドラマや映画のキャストを今でこそ俳優というが、そもそも俳優も芸人アガリの役者なのだ。テレビやイベントに出ただけで論客や有名人になったと勘違いしているバカ芸人も多いが、所詮、芸人は芸人で「偉大なる勘違い」をしている歌手やタレントも多い。
実は小話も芸と芸の合間をつなぐ「話芸」の一つなのだが、いまやお笑いの世界は「裸芸」「自虐ネタ」や「一発芸」でしかツナギが取れないのは余りに恥ずかしく情けない。
やはり、人の琴線に響く芸(エンターテイメント)のハシリと云えば、やはりそれは何といっても子供のころに目に焼き付いた「チンドン屋」だろう。曲に惹かれるようにそのあとを付きまとって、「おっちゃん!ビラくれよ!!」と畦道を走り回ったことが妙に懐かしい。
それに、「ぱっかん焼き(通称:爆弾)」。貴重な食糧であった「米」や「麦」などは家から持ち出せず、5円玉を手に握りしめて納屋の「種もろこし」をこっそり持っていっては「おっちゃん、パッカンやって!」とせがんだものだ。
そして極めつけは「紙芝居」。重厚感あるごっつい自転車の荷台に演台を載せて、街々を回る「おっっちゃん」の後をつけては「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」に興じた。カタ貫きやソースせんべいに水飴を買い食いし、袖口や口元を汚す度にお袋に、こっぴどく叱られた。
ここにこそ「芸」というか「技」、もっと言えば「興行」の神髄がある。興行と名のつく、野球、プロレス、ボクシング、コンサートや映画などもそうなのだが、これらはすべて「見世物小屋」や「大道芸」の延長線上にある芝居芸の一つなのだ。
まもなく11日、「東日本大震災」から8年。あちらこちらから式典やイベントの音が聞こえてくる。今日も大型スーパーの前で地元の市民吹奏楽団が「花は咲く」を演奏していた。この曲を聞くと、災害対策本部の責任者であった当時を思い出し、胸が圧しつけられる。当時、あの港湾に浮かんだ無数の死体を知る者も少ない。
その傍で都会では珍しい「チンドン屋」が「芸者ワルツ」の曲にのせて、スーパー近くの居酒屋の新装開店を宣伝していた。だが、この曲が流れ出した瞬間、「チンドン屋」も演奏や口上を止めてこの曲に耳を傾けていた(それが今日の掲載写真)。
このコントラストに不思議と救われた気分になった。吹奏楽団とチンドン屋の「芸」の露出に何か奇妙なものを感じた。いつものことだが、一体何を伝えたいのか、いくら書いていてもハッキリ真意が伝わらない。