Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ココロ.

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   カタチよりココロとは言うが、カタチにしないとココロが伝わらないこともある。神社仏閣のお守りやお札、それに色紙に書いた寄せ書き。珍しいところでは、シネマ鑑賞プリペカードやチャージ済のSuicaを貰ったこともある。いま考えてもその意味は深長だ。

 

 ココロ温まる直筆のお手紙、花束や写真を贈っていただいたこともあるが、やはりカタチは「現ナマ」が圧倒的に多い。これまで何人もの方々と別れてきたが、その都度、香典やご挨拶に見えた方には餞別を渡した。でも、ロクな挨拶もできず顔すら出さない無礼者には何も渡さなかった。

 

 儀礼的な挨拶はこちらも苦手だが、ココロあるご挨拶には受けるこちらも感情が込み上げてくる。近づいて肩を抱きしめ涙する人、握手を求めそっと手を差し出す人、そこに言葉はないが温かいココロは伝わってくる。

 

 最後の別れになって携帯電話番号を聞いてくる人、メールアドレスを教えてと懇請する人、別れてもショートメールや電話番号を伝えてくる人、別れにはさまざまな形があるがお互いが、そのお別れにしっかり応えられるココロも欠かせない。

 

 「どうも・・」と答礼する方もいるだろう。でも、そういう方に限って「二の句」がない。「どうもお疲れさま」だったのか「どうも大変だったですね」といった労いや感謝の言葉が続かないのだ。だったらズンドコ節のように「ホームの陰で泣いていた・・♪」というように、言葉にならない思いを寄せる方がまだましだ。

 

 そして、「お別れ」の現実を認めない、受け入れられない方々も大勢いる。そういう方々は必ずと云っていいほど、「また後で・・」とはいうものの、そんな方に限って後は音信不通だ。お別れに感情が込み上げているのはコチラばかりでお相手はさほどでもないようだ。

 

 夫を病で亡くした未亡人が棺にすがり、一歩たりとも離れようとしない光景。それに火葬場の炉に入る棺を取り乱しながらも阻止しようとする妻や子供たち。そんな光景を何度も見てきた。

 

 別れは出会いのはじまりとはよく聞く言葉だが、一度別れた人との再会はない。まして別れた人に匹敵するような方との出会いなぞもない。それだけに巡り合いは大切なのだ。本当の別れを経験した人なら誰しも分かるだろうが、ココロにぽっかりと穴が開き涙さえこぼれない。そのうえ、その不条理な現実に悔しさだけが残ることもある。

 

 いつでも会えると思うトキは良いのだが、それさえ叶わぬトキも来る。さて、明日の風はどこから吹いて最初の一歩をどこに踏み出せばよいのやら。やはり幾つになってもワカレは辛い。