Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

コトバの乱れはココロの乱れ

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 みなさんは、ご存知だろうか?その昔、「服装の乱れは生活の乱れ」、そのうち不良モンになってチンピラになる!と、よく言い聞かされたものだ。だから、ソコソコに学ランの詰襟はしっかりと締めて、腰パンなど想像だにできなかった。

 

 そこにいくと、今の若者の風紀や彼らが使う言葉はどうだろう?例えば「やばくねえ~!!」というフレーズ。感嘆詞は感嘆詞なのだが、今更ではないがこの言葉は二つの意味を持つ。一つは「驚き」「絶賛」、「賛美」の屈曲した「ウケねらい」の自己承認欲求の代名詞とも取れる。もう一つは「ダメだ、まずい」、「限界」、「捕まる!」、「ダサイ」といった意味にも使われる。ここが真実と真意を曖昧にして、相手に判断を委ねてしまう。これが実に危ういのだ。

 

 SNSに動画をアップして「ヤバイ!」「やばいよ!!」というのもそのせいだ。つまり、若者たちにボキャブラリーが不足し、字面(ジヅラ)を読まない、本や新聞を読まない活字離れが進んでいる。そういったことが背景にあるのかも知れない。

 

 聞(ブン)屋さんなぞは、靴底を減らし足でネタを拾い徹夜でゲラを書く。粗削りのデッサンのように書くだけ思いっきり書いて、その後で修飾語や形容詞を削ぐだけ削ぎ落してエッセンスや裏の真意を伝えようとする。だから、見出しとリードと本文が絶妙なリレーで繋がっていく。

 

 ベンチがアホで選手が右往左往する現状では、記事にならないとぼやく気持ちも分からないでもない。でも、「ネタありませんか?」の現場取材に、機をてらったような記事ばかりでは読者を惹きつけることは中々できない。

 

    新聞記事に限らず、いまや「官邸主導」、「ツルの一声」や「御前会議」ですべてを片付け決してしまう風潮に短略語が重畳する。だから、背景や間を読んで「お言葉ですが・・」などの発言は聞くシマもなく、打者に対して「ブラッシュ・ボール」を投げるようなピッチャーもほとんど見かけなくなった。

 

 さて、さて、話があらぬ方向に行き「やばくねえ~?」と、憲兵隊が来そうな雰囲気なので話を元に戻そう。

 

 「短略語」に慣れ切ったせいなのか「やばい!」や「イエッサー!!」しか言えないような人達ばかりでは、その昔に流行ったポケベルの数次の羅列「114106」を「愛してる」などと想像力を働かしてウラ読みするなどの芸当は到底できない。

 

    実は、若者が使いたがる短略語の根源には、もともと日本語固有の曖昧さがあるのかも知れない。代表的な例が「結構」という言葉だ。この言葉にはさまざま意味が内包されている。なんでもいいという意味での「結構」。後で私が払うから「結構」また、素晴らしいを意味する「結構」もある。さらに、もうお腹一杯の「(もう)結構」もある。それに「大丈夫」という意味で「結構」も使われる。当方が思いつくだけでこれだけの意味がある。そのほか「どうも」「まあね」や「よろしく」もその類の言葉だ。

 

    だから、短略語の使い方をひとつ間違えると、時に行き違いや笑いを誘うことにもなるが、それは事故や事件にも繋がりかねない。誰が何処で、どんな場面で使われているのかが正しく理解できなければ、誤解を生むことになる。だから安易にこうした言葉は使わない方が賢明だ。

 

    二、三文字の短略語でしか会話もできない、手紙も書けない、メールも打てない、そういうヤツが増殖している。ビジネスでも上下に関係なく「了解っス」を多用するバカモノタチ、こういう連中は信じるに足り得えない「マジ!!ヤバク!ねえ~!!コイツラ」かも知れない!!

 

    ところで、中高年や管理者は「哀れそのもの」に見えるから無理してこうした若者言葉は使わない方が身のためだ。最後に拙者から「(二話分まとめてドーン!、閑話にドーン!)本日もつまらぬブログにお付き合いいただきアザ~スッ!」。 

 

  明日からのブログは「お泊り保育」と「病院受診・処置」のため、しばしお休みのココロだ!