Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

追 憶

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 なかなかこれまでの「記憶」が「想い出」に変わらず、しばしこのブログも本気で休載しようかと思っていた矢先、埼玉の三郷(ミサト)ちゃんこと、玄人肌で歌唱力抜群の「Ms.玲子越谷」(ミズ.コシガヤレイコ・タウン・ヨシカワミナミ)から電子メールが届いた。これでなんとか今日18日のブログは繋がりそうだ。

 

 「二月だというのに日向ぼっこが出来そうな陽気。療養のためにお出かけがお薦めヨ!」との当方へのご機嫌伺のメールだった。彼女の顔を浮かべるとなぜかTheサ・イ・タ・マが強烈に蘇る。

 

 今から20年以上も前のこと、なんのキッカケか退勤後自宅とは逆方向のJR京浜東北線を往ったり来たりしていたことを思い出す。元同僚のI君なぞは大船と大宮間を何度往復したことか。その彼も大船駅で朝を迎え会社に出勤したのも一度や二度ではなかった。

 

 でも、他人事だと笑えたものでもなく当方も何回かこの路線で終電を迎えたことがある。しかも、翌日も仕事の極寒の平日。

 

 夏なら、ベンチでごろ寝をしても風邪をひくようなこともないし、日の出も早いからさほど苦にはならないが、これが真冬となると話は別だ。その時は、前日からの霙が上がって、真夜中にも拘わらず北浦和駅西口からトキワなんチャラビルを目指していたような記憶が残っている。道すがら家の玄関先には雨具や傘が立てかけてあったことも覚えている。

 

 用事を済ませて駅に戻るともはや終電は終了。駅入り口のシャッターは締まりホテルに泊まれるような持ち合わせもなく、まして帰宅するタクシー代もなかった。寒さを凌ぐために仕方なく駅前の公園の公衆電話ボックスに入り、立ったままコートの襟を立てながら凍えた手に吐息を掛けながら始発列車を待った。ボックスの下から吹き込む寒風の冷たさと備え付けの電話帳を腹に抱えて暖をとったことを鮮明に覚えている。

 

 そのときに脳裏をかすめた曲が、渡辺美里の「夏が来た」だったかも・・。故郷の夏の暑さを思い出しながらひとと時でも寒さを忘れたかったのかもしれない。

 

 そして、それからさらに遡ること10年前、1989年7月26日ドーム建設前の西武球場。「夢を追いかける~なら、たやすく泣いちゃだめさ~♪」(My Revolution)を、激しい雷雨のためバックバンドも帰ってしまったステージで、独りアカペラで残った観客を前に涙を堪えながら懸命に唄っていた渡辺美里。その彼女とミサッちゃんこと越谷玲子の透き通った高い歌声が妙にカブる。

 

 公園の電話ボックスで一夜を過ごしたことも渡辺美里の楽曲をカラオケボックスで一緒に歌ったことも、今にして思えばそれは懐かしい記憶ではなく、寒いながらも温もりを感じた自分だけの「追憶」のひとコマだ。