Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

燗酒

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 早速、当ブログ2月12日号(教訓シリーズ3-3)を掲載後に、とある御仁から当方あてにいきなり一通のメッセージ・メールが送られてきた。これほど、「教訓、教訓・・・」と連載すれば、オランホウから催促しなくても否が応でも反応せざるを得なかったズラカ?時に!ナヌ!今日、今日は、モシヤもしやの14日、バレンタインデーてか?

 

 しかも御仁は酒飲みの照れ隠しか、当方に教養がないことを知ってのことか、粋にもバレンタインデーにあてて于武陵(う ぶりょう)の漢詩「燗酒・勘酒(酒を勧む)」で返してきた。

 

    一見してこの詩、何の意味かさっぱり分からなかったが、漢字をゆっくり追えば中卒の当方でも何となく意味が解るから不思議だ。

 

「勧君金屈巵」

「満酌不須辞」

「花發多風雨」

「人生足別離」

 

 糠釘流で意訳すれば「波々と注がれた金杯で酒を酌み交わそう」と僕がそういったら、「君はそれを断ってはいけない」「だって僕は君が酒好きだということを一番知っているから」「それにそれが原因で君が大病に罹ったことも良く解っている」「人生は雨の日もあれば、風の日もある、そして百花繚乱に咲いた花もやがて風に舞って散っていく」「誰しもそんな満足な人生を過しているわけでもない」だから「ツベコベ云わずにまあ一杯どうだ」「こうして酒を酌み交わしている時でも、お互いに別れは来るかもしれない」「病になってもならなくても、サヨナラだけが人生だ!あばよっ!!」てな、ところかな?

 

 でも、この詩は有名な漢詩でいろいろ調べてみると、結構奥行きのある詩らしい。

 

    過去の文学家も一歩踏み込んだ解釈をしていて、「人生は一期一会、出会いも、その時も刹那のごとく一瞬で過ぎ去ってしまう。今楽しんでも、今苦しんでも、人生は短く、この先の人生にいつ何が起きるかも分からない。今を楽しめれば、それはそれでよいのかもしれない。楽しめる時こそ大いに楽しんでおかなければ次の山も越えられないだろう、そうしなかったら悔いも残るではないか」、てな、解釈も成り立つと聞く。

 

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 ネェー(無い)智慧を絞ってそれほど深く考える必要もネェズラ!単に「養生して元気になったらまた飲むズラ!」「イカズゴケのミノリやミッチャンも含め、あいつラもこいつラもみんなおメェーのケェリを待ってるツーコンジャンケ!ホウシタラ最後のシメは甲州のニゴリ酒でイッペエどうデェ!」的なメッセージかもシレンチュウコンデ。酒が飲めレバ、酒飲みはウントイロンナ手を講じてくるツーコンヅラ。ホレジャア食道、胃や肝臓がいくらあっても足りんズラ。

 

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    ベコじゃあるメェし!!!オランチの牛田猛(ウシダ タケシ)、モー(猛)勘弁!シテクリョウシ!!