Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

体得と心得

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 オートマチック自動車を運転する高齢者になぜ事故が多いのか?それは、運転免許を取得した時の環境が大きく影響している。当方が幼少の砌、運転免許などもないままにダイハツのミゼット(オート三輪車)の荷台に牛のベタ(糞)をたっぷり積んで狭い野良道を爆走していた。時あたかも小学4年生。

 

    野良道には轍がしっかりと残っていて、子供が運転しても滅多に脱輪もしなかった。そうした運転感覚を今でも体(カラダ)が覚えている。だから、原付自動二輪車大型自動二輪も教習所に通うこともなく、実地試験も学科試験も一発で合格した。

 

   流石に普通自動車運転免許や大型自動車運転免許は、公安委員会指定教習所に通って取得した。でも、当時は「オートマチック」なる車は一台もなくすべてが「コラムシフト仕様」の車ばかりだった。つまり、運転教習は全て5段ミッションのシフトレバーと「アクセル、ブレーキ、クラッチ」ペダルを上手く使い分け、「坂道発進」やクラッチを微妙に滑らせながら、ギアを上手く使い分けて車の発進とスピードを制御した。こうした繊細な感覚は今でもカラダが全部覚えている。

 

   けれど今や、殆どの自動車が卍鍵穴型のギアシフトなしの「AT車」が主流で、しかもペダルはアクセルとブレーキのみだ。だからお年寄りがバックギアを入れ間違え、勢いブレーキを思い切り踏み込んだつもりが、アクセルを踏み込んで店内に突っ込み「ハイ!終了!!」と相成る。ここに車の仕様変化に追いつかない高齢者のカラダが覚えてしまった体験不幸がある。

 

 こうしたことは、わが子、幼児、児童や生徒に対する躾と虐待や体罰との違いにも通じるものがある。昔は行儀や不始末をすると「お灸をすえる」と称して、お灸の熱さを身が覚えた。また、「生活指導」と称して、職員室で他の教員のいる前で担任に小突かれ、殴られ、丸刈りにされたこともあって、そうしたことで自らが起こした悪さをカラダが自覚した。その一方で喧嘩も良くしたが、喧嘩をするたびに「ケンカのやり方」を学習し、致命的な殴り方や道具を使って相手がカタワになるまでやり込まなかったし、警察沙汰にもならなかった。

 

 いまや、自らのカラダが覚えないままに法律や規則が一層厳格となり、世間の価値観も常識も大きく変わった。「躾」に対する考え方、「笑い」や「怒り」の本質も変わった。

 

 政治家、役人や企業家に限らず、家庭の親子、教師と教え子、それに炎上が堪えないバカッターに煽り運転野郎。こうした連中が育った時代背景を考えたとき、自らの「痛み(イタミ)」の経験を持たない「救いようのないバカ」が余りにも多すぎることに気づかされる。