Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

出会いと別れ(教訓シリーズ3-3)

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 一生のうちに運命の人に出会える確率は1千兆分の6しかないと聞いたことがある。つまり、そんな人には一生かかっても出会わないということだ。ガキのころからの幼馴染、小中学生時代に机を共にした学友、それに職場の同僚に取引先。こんなに多くの機会があっても「この人だっ!」とビビっビーンとくるような思う人には中々会えない。

 

 心の友、親友、旧友、同窓生、恋仲、良き同僚、理解ある上司、苦楽を共にした社員や仲間など様々な「仲良し」の形はあるが、オシドリ夫婦と云えるような中でも実は仮面夫婦であったり、似非仲や腐れ縁であったりもする。それがはっきり分るのが「別れ」の場面だ。

 

 卒業、退職、離婚に離別に死別。その時は悲しくも寂しくも辛くも、そして涙し、嗚咽したりもする。でも、いつしか人はその悲しみを乗り越えていく。そして自らが独りであることに気づき、独りで歩いていかなければならないことを思い知らされる。そうしたことは、そのパートナーとの付き合いの長さや深さでもなく誰にでも平然とやってくる。

 

 思春期のような多感な時代にあっても、働き盛りの時であっても、熱く燃えた恋仲であっても、家族和気あいあい一家団欒の瞬間があっても、最後は孤独に立ち向かっていかなければならない。例えば、よくモーレツ社員で部下や上司や周囲に信望が厚かった人間が退社するころには、だれからも相手にされず、「贈る言葉」や「花束」もなく独り淋しく会社を去っていく人の後ろ姿を思い浮かべて欲しい。

 

 人生は常に別れの連続だ。それに耐え、それに克ってこそ次なる出会いが待っている。春は、入社、入学の季節、その一方で皮肉なことに卒業や退職の別れのシーズンでもある。

 

    最後に余計なお話をひとつ。その昔、自らの信念を貫き任期途中で社を去らざるを得なかった役員がいた。その役員を苦々しく思い、殴って、殺してやりたいほど憎い時もあった、でもその役員の実直な生き方に憧れた時もあった。そして、先ごろその役員の訃報が届いた。今やそんな気骨ある役員が、その組織にはおろかこの世にも居ないと思うと淋しくて涙がとまらない。

 

   この歳になっても、いつになっても、どこにいても、どんな場面でも、やはり「お別れ」は辛い。

 

※ 水泳女子選手の池江が突然にして急性白血病に陥いった。できうるものなら18歳の彼女にたった一度のかけがえのない青春を返してあげたい。いつもながら好事と凶事はコインの裏表だ!と、運命の皮肉を感じる。