Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

自縄自縛

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   立ち合いの焦り、待った、眼ソロバンと横綱らしい落ち着きのなかった純国産横綱稀勢の里が初日から3連敗を喫した(死に体になってもなかなか引退を表明せずやっと昨日の朝、引退を表明。これでは取り組みも引退会見も見ている方が余りに辛い)。

 

   稀勢の里が2連敗を喫したその晩、NHKスペシャルで昨年5月エベレストの南西壁で滑落死した「栗城史多の見果てぬ夢(冒険の共有)」を視聴した。番組の作りとしては無難だったが、しっかりと呑み込めなかった。

 

 山梨県大月市で古民家を買い取りして悠々自適に金を稼ぐ野口健サントリーの登る看板と化し、ヘリでエベレストから下山する三浦雄一郎。彼らを登山家と呼ぶらしいが彼らは職業登山家、もっと言えば「神々の山を利した金稼ぎと売名を兼ねた道楽登山家」であって、彼らはもともと真の冒険家でも登山家でもない。多額の費用がかかる高峰登山にスポンサーが必要なのは分かるが、何のための、誰のための、何を目的にした登山なのかという原点を考えると彼らの山登りには疑問を持たざるを得ない。

 

 それは、高尾山、筑波山北アルプスでも富士山を目指す人にとっても同じ事がいえる。それをドラマやドキュメンタリー仕立ての番組にするのも如何なものか。

 

   ここで事実の裏側を少しだけご紹介しよう。例えば、栗城氏の登山のキッカケは、高校時代に初めて恋した彼女に失恋し、その絶望感から何も誇れるものがない自分に気が付き山登りを始める。その一方、東京で劇作家を目指しアルバイト生活の中も彼女が忘れられず、彼女を振り向かせるために、作家を断念し故郷の北海道に戻って必死で登山のスキルとパフォーマンスを上げて行く。

 

 次第にそのパフォーマンスは苛烈になって、やがて5大陸最高峰(サミット・セブン)の無酸素単独登頂を目指す。でも、番組では紹介されてはいなかったが「いつか息子は命を落とす」「でも、好きなことをやって死ぬのだから、それも幸せなのかもしれない」と、彼の死後、北海道に住む父は普段から彼の死を覚悟していたことを述懐していたことを想い出す。

 

 事実を美化し、ドラマにすると素人受けする感銘や感動が容易に作れる。物事の真実や辛さや苦労を実体験した者が発する言葉ほど重みがあり心を揺り動かされる。それを劇場的に現在進行系のSNSで公開しても、日テレの24時間テレビと同じで視聴者に臨場や現実感は生まれて来ない。

 

   登山に限らず偉業を成し遂げる過程は、なんと泥臭く、みっともなく、見るに堪えない場面ばかりかだ。自縄自縛の栗城は何を目指したのか、疑問を残したまま彼は亡くなった。