Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

懐かしき想い出

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 青春時代が春だとすれば、この歳になった時代は秋真っ盛りといったところだろう。ここに一枚のスナップ写真がある。今から十数年ぐらい前の10月下旬に彼と二人だけで登った東北地方最高峰の尾瀬の燧ヶ岳(ひうちがたけ)だ。バックがその山容(頂上付近)で真ん中に見えるのが俎嵓(まないたぐら)だ。

 

 東武鉄道浅草駅発23:55のその秋最後の「尾瀬夜行列車」で、四人の山仲間と草紅葉が映える尾瀬に出かける計画だった。しかし、その日は生憎、台風接近で山の天気は大荒れ。「自殺行為だ」といって彼以外はこの山行には誰ひとり参加しなかった。

 

 夜行列車に揺られながら、列車は「会津高原駅」を目指す。到着は午前3時過ぎ、予約した仕込み弁当屋や朝飯と昼食の合計4人分8食を用意していてくれた。ここでチャーター便のバスに乗り一路、沼山峠を目指す。1時間余りバスに乗っただろうか?突然、彼は荷物をまとめてバスを降りようとしている。

 

 「えっ!ここは何処ですか?終点はまだ先ですが・・」と不審に思って彼に尋ねると「ここは尾瀬御池!ほら、登山客のみんなが降りてここから燧ヶ岳に登るんだ!俺たちも一緒に行こう」「ウソでしょ!天気も悪いし尾瀬沼を散策するんじゃなかったのでは・・」「でも、折角ここまで来たんだから登ろうぜ!」「マジかよ・・(ブツブツ)」

 

 これが登山を再開したきっかけだった。予想通り天気は荒れに荒れ、山頂付近の柴安嵓(しばやすぐら)に到達すると同時に強風雨に煽られ彼のザックカバーは飛ばされるのを身を挺して止めたが、体自体も飛ばされそうになった。それに今度は雹が顔を容赦なく叩く。急いで下山を急ぎ、頂上直下から撮った写真がこの写真だ。今思えば相当無茶をしたもんだと思うが、今となっては心に残る貴重な経験だった。

 

 沼尻まで、ぬかるんだ山道に足を取られながら先を急いだ。湖畔に到着すると天気はみるみる回復し青空が顔をだし、岸辺一面に草紅葉の紅が広がり、雨に打たれた葉がキラキラと光っている。何とか長蔵小屋まで辿りつき事なきを得た山行だった。その後、至仏山会津駒ケ岳など尾瀬沼には何回も出かけた。ここは別世界、恋人や奥さんを連れて行ってもよし、山仲間だけで行くのもよし、家族連れの誰もがこの幻想的な自然に吸い込まれる。

 

 これを機に、ワンダーフォーゲル部出身の仲間も加わり、日本百名山、山梨百名山、丹沢に、高尾に北アルプスと毎週のようにどこかの山に登っていた。でも前出の彼も当方と同じ癌仲間であって今も元気にしているものの、その時「自殺行為だ」といってこの登山を回避した山仲間は67歳の若さで3年前に癌で命を落とした。あの時危険回避をした筈の仲間が彼や当方よりも先に逝くとは皮肉な話だ。

 

(今日のおまけ)
 昨日は、消化器外科の指導により頭頸部外科でコンサルテイングを受ける。当方の副咽頭間隙腫瘍は頭蓋底にまで浸潤していて手術するには大変厳しい状況であるとの説明を受けた。「弱り目に祟り目、頭の痛いお話ですね、そうですか、ならば出来るところからやっていただくしかありませんね」と、当方から一言。それ以上返す言葉はなかった。