Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

帰り道は遠かった

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 空腹感と満腹感、いつもそんなことなど気にもしていなかった。「腹が減った」といっては飯を食い。たらふく飯を食っては「食った、食った」と満腹感を味わう。どうやらこの中枢神経、この先出番はなさそうだ。

 

 当たり前のことが当たり前に、普通のことが普通に。それがある日、ある時からそうはいかなくなる。やがて普通であることが、これほど大切で大事なことであることを思い知らされる。

   

   何回、何回も腫瘍を切除しても、なお再発する腫瘍、こうなると病気のために生かされているのか生きるために病気になっているのが判らなくなることもあるだろう。主治医に質問してみた「人間の臓器は何処までとっても生きていられるか」との質問にドクター曰く「肝臓なら1/3以上、肺臓なら1/2以上取ってしまうと死に至る」「残りの臓器は再建や代替が効く」そうだ。そして、切除・摘出にとうとう根負けして、現実を受け入れることができず、治療を諦めて退院してしまう患者もいるそうだ。

 

 皮肉なことにだいたい癌が見つかったり、病名が判明する時は、突然が多い。
「ご冗談でしょ!」といって、ショックを受けるというより現実を受け入れたくない自分がいるのも事実だ。これは宣告を受けた者でなければ解らない感覚だ。

 

 当方のここまでの経験からして、宣告を受け昨日までの日常が一変した途端に、急に身辺を整理し始めたりする。忙しさで病気であることを忘れたいのかも知れない。そして、患者の誰もが落ち込み「鬱」状態がしばらく続いて、やっとそこから脱して「腹を括って覚悟を決める」、ここまでが結構つらくて辛い道のりだ。朗らかそうに装う患者もいるが、それは「ウソだ!」。当方自身が宣告を受けたから、そのことは良く判る、誰もが一旦は絶望の淵に立たされるのだ。

 

 「手術はしたくない・・」と一旦は入院したものの退院してしまう患者もいる。それほど人間なんて強くない。そして、その次に襲ってくるのが再発の恐怖だ。こうなってくると捨てバチに不眠も重なって酒に走ることもある。それを脱するには同じ病気の仲間と話すこと、そして家族の支えと理解だ。当方は、まだ術前なのでこの域には達していないが、いずれこうした患者の心境も理解できよう。

 

 自覚症状もなく、偶発に偶然が重なり行きがかりで見つかった今回の癌。仮定の話にはなるが、「もし発見が1年後であれば、完全に手遅れだった」と主治医はいう。

 

(今日のおまけ)
 予後はバリバリ働らなくてもいいが、体を動かさないと1日寝込んだだけで3日分の筋量が落ちると主治医から言われた。何をするかわまだ決めていないが何かにチャレンジしたいとは思っている。

 

 病気になることは辛いことだが、今まで見えなかったことや人と人とのつながりや温もり、人生観、家族の絆など、いろいろなものが見えてくる。だからこそ、これから先好き勝手でもいいが後悔しないように生きたいと思う。大事なことは、生きている時間の長短ではなく、自分がどう生きていくかだ。