当方の知り合いにも、二言目には「ああ~めんどうくさい」を連発する人がいる。口癖になっているようだが、何につけても「ああ~めんどい」というものだから、話の腰が折れそれ以上会話は弾まないし、気分も滅入る。
万事、面倒臭いと思うのは誰も同じだが、それを口にしたところで世の中が変わる訳でもない。でも連発には原因があるのだろう。体が疲れているとか、睡眠不足とか、生活のリズムが狂っているとか、何をするにしても障害があって思うように事が進まないとか、相手に対する怒りとか、いろいろな理由が考えられる。
もしかして、それを口にすることによって自己を正当化しようとしているのかもしれない。大人になればなるほど面倒なことに対しては敢えて「めんどくせぇ!」を口に出さない。
それを連呼するのはもしかして心配症や不安症、それに行き過ぎたことに対する反射的な自己防御や回避行動なのかも知れない。
でも、単純に考えれば「慣れ」や「飽き」がこの言葉を生んでいると考えるのが自然かも知れない。つまり同じことを繰り返ししているとそのことに慣れてしまいその上結果が出ないと飽きがくる。そして最後に「ああ~めんどくっせぇい!」が口に出る。
注意したいのは、これを云い続けると本当に何でもかんでもが面倒くさくなるばかりか、人が近寄らなくなり、運も逃げていってしまうことだ。溜息をつくたびに幸せが逃げていくということと同じ理屈だ。
面倒だから、趣味は持たねぇい、会社を辞めてぇ、付き合いを止めてぇ、メシもいらねぇ、息もしたくねぇ、そして「ああ~めんどくっせぇ!生きるのも止めてぇ」と来たら最後だ。
一度失くしたものは二度と手には戻らない。そんなご覚悟をお持ちでその言葉を口にしているんですよね
(今日のおまけ)
局長も事務次官もそうだが、同期入省の職員の全てが局長や次官になれるわけではない。お宅の会社でもどうしてあんな出来の悪い奴が役員や部長をやっているのか不思議に思うことも多いだろう。部長や役員になれないと言ってそんなに落ち込むなそこの50代!
役所も会社もそうだが、上に立てば立つほど「知恵者の№2」を置くより「従順な飼い犬のような№2」を欲しがる。こうして次第に組織は腐敗、後退していく。聴く耳を持たないトップや偉大なるイエスマンばかりで固めては、組織はそう長く持たない。「大塚家具」然り。