Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

代表A.H氏を偲んで

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 かつて大型プロジェクト(PT)案件の総責任者としてその任に当たっていた当方。ある日、経営トップのA.H氏の部屋に呼ばれPTの進捗とスタッフ働きについて訊かれたことがあった。「進捗は何とか期日にカットオーバーできる」旨を回答し、スタッフについては「彼らなりに頑張っている」と答えた。そうしたら氏から大目玉を喰らった。「彼らなりに、それなりに・・」の言葉遣いに当方に驕りがあると強烈な指摘だった。そのことは今でも鮮明に憶えている。

 

 氏は、桜のトンネルで有名な浪花の○○局長も務めた方で、東大法学部時代に司法試験に合格するなど、バリバリのキャリア官僚だった。でも、民間に下っても腰が低く驕りのない方で社員を分け隔てすることなく、周囲の意見によく耳を傾け、取引先に対しても腰が低く、相手の話をよく聞く方だった。定時に退社すると寄り道することなく世田谷のご自宅に戻り、風呂場で足を丁寧に洗った後、自身の書斎にこもり仕事を続けるといった生活スタイルを貫いた。

 

 後述するが定時にご帰宅するのも、週末に奥方様と連れだってドライブがてら温泉や蕎麦を愉しんだのにもワケがあった。

 

    ある時小淵沢町の別荘で一泊し翌日ご夫妻は尾白川渓谷を目指した。奥方様を尾根に残し「滝を観てくる」といった言葉が最期で、70メートルほど滑落、頸椎骨折で亡くなられた。

 

 その後、氏を知る山友とその現場に花を手向け、掌を合わせに何度か慰霊登山をした。その模様を何度か世田谷にお住いの未亡人となられた奥方様にご報告に伺った。応接間には社葬で使われた遺影がそのまま飾ってあり、それを観ては、奥方様はいつも涙していた。


   それでも独り残された奥方様は、生きがいを見つけるとおしゃって家庭裁判所の調停員を目指すため、これからは勉強に励むともおしゃっていた。ご仏壇に掌を合わせると不思議にも小学生の男児の遺影が祀ってあった。お訊ねすると、「氏が九州に転勤した時に病で一人息子を亡くした」とのこと。その際、氏は仕事で忙しく息子さんを看取れなかったという。

 

 それもそのはず、当時、氏は多忙を極め、なかなか帰宅することも覚束なかったと聞いたことがある。それを悔やんだのか、以来、氏は定時退(局・省)社を心がけ、週末ともなるとご自身が運転する車でご夫婦だけの時間(小旅行)を楽しんだ。

 

   三回忌を過ぎたある日、当方に奥方様から、落胆したご様子で「調停員試験に落ちましてね・・・」との連絡があった。

 

 それから、半年後、妙なことに奥方様のお母さまから当方に一通の手紙が届いた。ご丁寧な御挨拶に一葉の便箋が折り込まれていた。そのお手紙には直筆で「私が亡くなったら徳兵衛さまに連絡してください・・・徳兵衛さま大変お世話になりました」と記されていた。奥方様のお母さまからの御挨拶をよく読み返すと、「○○は、A.Hの後を追うように先日旅立ちました」と書かれていた。

 

 その手紙は今でも大切に我が家に残してあるが、読み返すたびに泪で文字が滲む。氏のご夫妻は斯くもそんなに死に急いだのか、今となってはそれも誰にも判らない。 合掌

 

(おことわり)
本日、わが故郷甲州に独り帰省します。つきましては、当ブログをご愛読いただいている皆さまにはまことに申し訳ございませんが休刊日がしばらく続きます。あしからずご容赦ください。なお、再開は旧盆明けの8月18日(土)号を予定しております。

 

                                                                                       当主 甲州屋諏訪守徳兵衛