言葉の使い方、物言い、仕草、所作や動作など、など、そこにはその人の「心」表れるどころか、小さい頃の家庭環境、家族構成、教育やしつけそれにもっと言えばその人の生い立ちまで分る。その人の所作、振る舞などからその人自身を読み取ることが出来る。
乱暴な仕草や言葉遣いは、その人の教養や知性までもが疑われるところだが、そういうことが判っていても相手の乱暴な言葉遣いについつい引き釣られて、こちらも怒りっぽくなてみたり、売られたケンカではないが、ついつい相手のペースに乗せられ買ってしまう。
ここに身に着いた素養のなさが暴かれてしまう。つまり上っ面の・・・、見せかけの・・・ 化けの皮が剥がれるのである。
真に身に着いた気品や上品さは、どんな時でも心が揺れることがない。穏やかというより余裕やゆとりさえ感じるのだ。
丁寧で穏やかな言葉遣いが身についていると、自然と心も振る舞いも穏やかになるものだ。とはいえ、積年の習慣である言葉遣いや言い回しを変えることは、なかなか難しい。
べらんめぇ調に、ケンカ腰こんな言葉を使い続ける当方に、女房がいう「お父さん、もういい年なんだから、いい加減、枯れた柔らかい物腰で会話はできないと、私も恥ずかしい・・・」、「なんだとっ!」「よくもそんなことがいえるな・・・もう一回云ってみろ!」「・・・(沈黙)・・・」 こんなことを繰り返しているから、だから当方、いつまで経っても一向に世間が狭いままだ。
(今日のおまけ)
売り言葉に買い言葉。相手の感情を逆なでしたり、相手を煽ったりする言葉遣いがあるそうだ。「あなたはいつも・・してくれない」の『いつも』。「あなたは毎回そういうことをするよね」の『毎回』。といった悪癖を繰り返し成長がないような相手を見下した言い方。
これらはどれもNGだ。それに『絶対』や『必ず』といった断定調は、却って相手の感情を逆なでする。
『だって』『あさっても』を繰り返すのも当方の悪い口癖だ。