父の想い出ばかりを書くと、母に申し訳ないので今日は母の想い出を綴ってみたい。おそらく旧盆が近いので当方に書かせているのだろう。
父も独りで旅だったが、とりわけ母の旅立ちは悲しかった。いま思うと最期の時くらいは看取ってあげたがった。いまから2年前、父を追うように逝ってしまった母。さぞ、淋しかったのに違いない。深夜、施設の個室で血を吐いて倒れた時は既に手遅れの状態。病院に運ばれたが息はなかった。
いろいろな想い出を残してくれた母。当方が小学生時代、少しもハーモニカが吹けず毎日、毎晩、吸って、吐いて吸って、上下、上上、下下と楽譜の音符を見ながら指を指しながら教えてくれた。お蔭で音楽の時間に恥をかかなくて済んだことを思い出す。いま、その小さなハーモニカをもって、山登りをしている。
ハーモニカの音色を聴いていると郷愁と懐かしさが蘇ってくる。見栄っ張りで、強情でそれでいて、子供には優しく掛け替えのない母だった。亡くなるまでいつも口にしていた言葉を思い出す。
人様の前では生活が苦しいななぞ、微塵もださず、それでいて生活を切り詰めながら一旦事があると、大盤振る舞いをしていた。それは母にとってのプライドというか、そんな姿や心根はよそ様に見せたくなかったし知られたくもなかったのに違いない。
そんな母ももうこの世にはいない。淋しさばかりが募るが、当方、今や子供も多くの孫にも恵まれ、感謝しかない。こうやって生きていられるのも母から貰った大切な命だ。多分、家内も同じく旅立った義父母に寄せる気持ちは同じだろう。
もう、あの頃は帰ってこない。だからこそ今を生きるのだと子供や孫に教えてあげたい。
(今日のおまけ)
東日本大震災の時もそうだ。今回の西日本の集中豪雨もそうだが、いきなり命を奪われた家族らは、亡くなった方々の現実が受け入れらないのに決まっている。
歳だから、病気だからと、周囲が「ボツボツ」だと覚悟を決めているのでもなく、突然、親や子供の命が奪われる。誰がこの順番を決めているのだろうか?もっと悪人も大勢いるのに、こいつらの命こそ、奪ってくれと思うばかりだが、そうも行かないのが運命、宿命、お定め?
ある日、突然命を奪われた者は、この世に未練があって、自身が死んだことも自覚できないそうだ。だから、この世に戻ってきて往生できないそうだ。だから、夢枕に立ち、人混みに亡き人を見ることもあるという。
しばらく盛んに夢に登場してきた亡き母の姿。最近はトンとご無沙汰である。
※掲載写真は早朝散歩で見つけた向日葵。向日葵の花の後ろに月が見える。