学徒出陣で、いきなり士官となった父は九州で終戦を迎えた。しばらくの間、実家の自宅には、軍靴、ゲートル、指揮刀、日本刀や飯盒まであったが、今は、錆びついた指揮刀だけが物置に残っている。
そんな父は、将棋が強く、近所では有名で同じ町内では敵なし。つまり、強いが故に地域では「嫌われ松子!」だった。趣味らしい趣味と云えばそんなもんで、普段は縦のモノを横にもしない男で、時折、小学生の当方とキャッチボールするくらいが趣味と云えば趣味だった。
そんな父が、晩節、趣味の将棋を捨てて、囲碁に転じた。その理由は定かではないが、多分、将棋の強さを捨てて、一念発起、初心から囲碁に向かい合いたかったのだろう。そんな父は、信心は一切しなかった。宗教はおろか神社仏閣を参拝することさえ拒絶していた。心底から、そうした類のものには近寄ろうともしなかった。多分、自分が故の自分がゆえに(俗に云えば自分本位)神仏の存在を認めたくなかったのだろう。
高齢となって、サ高住施設に入居する前、父は自宅で盛んに「般若心経」読本に目を通し、朝な夕なにお唱えをするようになった。無宗教を貫き抜き通した父がどうしてそうなったのかは、今では知る由もない。墓所の霊殿に遺骨を納骨した際に、白黒の碁石を一面に撒いてあげた。住職と一緒に「般若心経」を唱えたのは今から4年近く前のこと。今となってはそんな父の姿は、どこに行っても居ない・・・。
(今日のおまけ)
家内が何かの用事があって、隣町の転居する前の集合住宅近くのスーパーで買い物をしにいった。そしたら、その住宅の同じ階段のご近所さんの豊○さんと偶然、遭遇したらしく、しばし立ち話をしたそうだ。 話によると、みなさん、どのご家庭も御主人や奥方様を亡くしているらしい。この豊○さんも若い時にご主人を亡くしている。そのうえ、30歳、40歳になってもお子さまたちは未だご結婚されてないと聞く。何が幸せかは一概に言えないが、この界隈でもこうした家庭がどんどん増えている。
当方夫婦は二人とも大病を患いながらも幸い5人もの孫に恵まれた。この先子供や孫たちに何が起きるかは判らないが、それを乗り越えてこその家族。そうした耐性のある子供たちに育てたつもりだ。そのうえ男女を問わず、機会均等にチャンス到来となればあらゆるものに挑戦させた。そして、やりたいことは、何でもやらせた。これから先その結果を見納めることはできないが、手前味噌ながら、つくづく我が家は、恵まれていると思った。
そんな今あるのも、それは亡き父母の当方の育て方であったし、家内の義父母の家内への躾であったかも知れない。
それにしても、ここに転居してからというもの、ほとんどといっていいほどご近所とのお付き合いはない。歳をとって当地に引っ越して来たことに多少後悔が残る。
※ 写真は早朝散歩時の日の出と当方自身の影絵