Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

だっても、明後日もない!

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 「でも」、「だって」、「どうせ」、「だけど」、「だったら」をD言葉というらしい。今年、ピョンちゃんオリンピック女子カーリングで出た裏フレーズ「そだねぇ~!」は、相手の言うことを肯定的に捉えながら同調性を醸し出すものだから、それを聴いた相手も不愉快な気分にはならない。

 

 ところが、このD言葉は、とにかく相手の話を否定するときに出てくる。一旦これが使われ出すと何事にも口癖のように否定形を口にしてしまう。挙句に 互いに気まずい雰囲気に陥る。

 

 尤も、こうした人間は、理路整然に反論するわけでもなく、相手を論破することさえできない。つまり、この言葉を多用する人は、チンピラが因縁をつけるようなもので、深層には何かにつけて不平不満が常にある。

 

 もっと言えば、優柔不断、無責任で幼稚なタイプの人間に多く、人生のベテランでもこれを口にするとその人の自己中心性や責任転嫁的な性格があからさまに現れる。そして、そうした人間からは、周囲が自然と距離をとり、いつの間にか誰もその人の話を聴こうとしなくなる。これは、当方の会社勤めの時代でも良く耳にした。言葉遣いは柔らかいが「さわさりなん」「しかしながら」「お言葉ですが」といったフレーズも同じだ。現役をリタイアした今でも周囲からよく耳にする。

 

 このように、マイナス思考でネガティブな言葉を口に出すと、本当にネガティブな結果を招く悪循環に陥るという傾向がある。逆に物事をポジティブに捉え前向きな言葉を口に出すようになれば気持ちも結果も好循環となる。これを鏡の法則といって、心の内面が現実化して言葉が発せられるのだという。

 

(今日のおまけ)

 さて、今日のお題。実はこれって、この徳兵衛が盛んに家族から言われていることで当方の口癖になっている。何を聞いてもD言葉が接頭語にあって謙虚さや素直さが感じられないという。

 

 いい大人になって「お父さんも、もう少し寛容になったら・・・そんな会話続けても自分でも面白くないでしょう・・」との強烈な指摘に自己分析の観点から本日掲載してみた。

 

 謙虚さ、誠実さ、素直さ、受容や寛容さは言葉に現れる。今日からはお言葉を返す時は、一呼吸おいて「そだねぇ~!」を頭にして返答しようと心に決めた。

 

 D言葉と同じで混雑する電車内で脚を踏まれても「いてえぇっよ!!」と乱暴な言葉遣いをするのではなく「スミマセン、私の脚がいとうゴザイマス・・」と返せるか。そこまでのゆとりが出るまでには相当の時間がかかりそうだ???