Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

転ばぬ先の自己責任

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   自業自得:自ら行(業)った結果を自らが受ける(得)ということを意味する仏教用語

    酒を飲みすぎて二日酔いになってしまって、飲みすぎたのは、自業自得だといったような使い方をする。ただ、これは悪いケースに使われているが、 善い結果が起きた時も自業自得という。


    さて、日頃から節制して食事や健康に気を遣っている人が、ある日、がんなどの病気に罹った時を指して、これを自業自得と云えるだろうか?

 

 行ったことと病気になったことに因果関係があれば別だが、逆に体に良いと言われていたことを励行しても、それにも拘わらず病気を誘発したとすれば自業自得も皮肉な結果に映る。 


   自業がなくても自得が突然訪れることもある。突然死や事故死がそうだ。登山中の遭難ならまだしも、健康ランニングの練習の最中や日常の家庭でも、不幸は突然襲ってくる。

 

 当方も20年ほど前、安曇野の三郷アップルマラソンレースで、当方の前を走る選手が倒れ失禁しているのを見た。慌てて逆走しながら選手に医者がいないかを大声を出して探した経験がある。医者によって応急処置が施されたが、結果的にその若い男性は病院で亡くなった。


   また、10年以上も前、同じ走友会仲間の村○さんが休日の午前中、一人での自主練習中に倒れ病院に運ばれた。彼はランニング姿だったために災害無線などを通じて身元が判明するまでに半日以上を要した。結果、彼もまた突然逝ってしまった(享年52歳)。

 

 不慮の事故だったため、家族は心構えもできないまま原因が分らないまま現実を受け入れることが出来ず、葬儀中はずっと自失茫然の状態だった。彼の死もまた「自業自得だ!」と言うことはできない。日常の行いと結果(現実)との隔たりがあまりにも大きいため、そのギャップに自業自得とは言い放てない。むしろ、「そんなことは言えない」というのが普通の感覚だろう。

 

 不慮に対して人が普段から準備できることには自ずと限界がある。それを超えて思いもよらぬ不幸が、突然あなたに襲ってきたとき、それをあなた自身もそれを自業自得だから仕方がないと割り切れるだろうか。

 

 ところで、自業自得に似たような言葉に「自己責任」という言葉がある。便利なこの言葉だが、最近あまりにも軽々に使われ過ぎてはいないだろうか?この言葉を発することによって、アッシに!関わりはゴザンせん!が如く、その人の無関心さや無関与、無情さなどが浮き彫りにされる。

 

人に寄り添う気持ちを忘れないよう、「自業自得」も「自己責任」も、こうした言葉の使い方には、慎重であったほうが良いようだ。

 

(今日のおまけ)
  「転ばぬ先の杖」ではないが、地震による家屋倒壊の際に壁や柱の下敷きになって、声が出せないことがある。その際には居場所と生存を知らせるためにホイッスルをいつも手元に用意している。

 

山での遭難や前出の自主練習中に亡くなった村○さんのように身元等が分かれば、ひょっとしたら命を落とすこともなかったかもしれない。当方は登山、バイク、ランニング等のアウトドアを愉しむ時には、いつも救難用ホイッスルを首からぶら下げている。笛の中の巻紙の中には住所、氏名はもとより緊急連絡先、血液型、保険証番号、既往症、服薬名等などが載せてある。

 

 事が起きた時に他人様から少なくとも「自業自得だ」、「自己責任だ」と指弾されないために・・・