Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

カッコーの巣のうえで

f:id:koushuya:20180624001813j:plain

   このところ、妙な気分が続いている。実家に戻っても誰もいない筈なのに故郷に帰れば両親に会えるような気がする。また、すでに亡くなった人がしきりに目に浮かぶ。そんなノスタルジックな気持ちが毎日続いている。

 

 TV深夜番組のCD通販CMで流れる1960年代から80年代の曲を耳に、帰らぬ昔を懐かしむ。家内に言わせると「歳のせいだ」とか、「情緒不安定」とか「老人性特有の鬱病」などと云って話をはぐらかす。

 

  子供の頃にみた砂利道、河原、畑や電柱などの光景。雨上がりの埃の匂い、そして草や田圃の畦道の匂い。家族からご近所まで、子供の頃に出会ったすべてが愛おしく懐かしい。一方で急激な無常観にも襲われる。これって、脳内物質のセロトニンが出すぎて精神がイカレタのかも知れないと思うほどだ。このところ脳内にドーパミンやエンドルフィンが分泌された記憶は殆どない。 え態、どうやら「懐古病」とか「郷愁病」とかいう心の病のひとつに分類され、多かれ少なかれ老若男女を問わず誰にでもあるようだ。

 

  さて、さて、それでは、これって、一体何が原因なのか? 大震災のような災害、大惨事、大事件を目の当たりした後に心的障害が発症するとはよく耳にするが、どうやらこれも違うようだ。心因性の障害だとすれば、そのキッカケは、自分自身の持病や今後の夫婦生活のことや、この先の人生の後始末のことを気に掛けてのことだと思う。この先、しばし心に棘が刺さったような状態が続くだろう。

 

   もう少し、自分なりに冷静に客観的に心理分析をしてみよう。すると子供や孫の成長に伴って一つひとつの出来事が微笑ましく想え、それが順次終わっていくことに対して寂莫感や寂寥感が心に沸いているように思える。確かに若い頃は生活に追われ、子育てに懸命だった。その当時は、そんなことすら思う余裕はなかった。

 

(今日のおまけ)

 心理学の専門家に言わせると、こうした過去へのこだわりや懐古は、現時点でその人の心の中に①現実逃避、②過去の人間関係の憧れ、③将来不安に対する昇華作用、④自信喪失、⑤リスタート願望、⑥劣等感、⑦死に対する恐怖心等が投影されているか、またはその反射だと解説している。

 

   誰でも過去にどんなに素晴らしい思い出を持っていても、過去は過去。昔の思い出は大切にし、時の流れに身をまかせながら、今という時間を大切に過ごすしかあるまい。裏を返せばそれほど充実した人生をこれまで送ってきた証なのかもしれない。