Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「仰げば尊し」

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  「仰げば尊し」から半世紀以上も   さる5/12(土)に甲府市内で中学校同窓会の発足式が執り行われた。このことは、昨日のブログでも取り上げた。

 

 さて、当日はというと、発足式だというのに100人以上が集った。開式の時はさほどでもなかったが時間が経つにつれて懐かしい顔ぶれだと判ってきた。こちらは存じないが不思議と相手は当方のファーストネームを、親しみを込めて呼んでくる。当時は、それほど人気者だったのか。ならば当時生徒会長にでも立候補していたら素行不良の会長が、校内に君臨していたかも知れない。

 

    当時、中学生と言っても当方リュック紐を蝶々結びが出来ず。近所の「トモちゃん」に、お袋が遠足の都度「結んであげて」と頼んでいた。そのトモちゃん親父さんは裁判所の書記官で血筋がよく、彼女もピアノが上手で、よくお宅にもお邪魔した。許嫁ほどではなかったが家族ぐるみでお付き合いさせていただいた。その後、彼女は私立の女学校へ、以来53年ぶりの再会だ。

 

    今もそうだが当時から彼女は絶世の美女で、学年でもあこがれの的だった。その彼女としばしご懇談。今は東京都に在住とのこと、今夜は実家に泊まって明日には帰京するという。その実家にも立ち寄ってお母様にもご挨拶をと思ったが、半世紀ぶりの恥かきはとご遠慮させていただいた。

 

   当時、この中学には学校所有の「青雲寮」と称する林間学校が八ヶ岳の麓にあって、この寮から権現岳編笠山にも何度も登山をした。この地にはキャンプファイヤーに飯盒炊爨と思いで多く詰まっている。その後、運営上の問題からこの林間学校は廃止されたが、勇士を募っていつかここに再度「青雲寮」を開校したいと願っている。

 

  そうなんです。中学二年生の夏、キャンプファイヤーの火が消えかかるころ「ひとみちゃん」に愛を告白したんですね。そのことを今も「トモちゃん」は知らない。あまり長居をするとボロがでそうなので、当日は二次会にも行かず家路を急いだ。本番は今秋の10月27日。今からその日が待ち遠しい。

 

(今日のおまけ)

 職員室の横には、魔の「生活指導室」。男子生徒は詰襟の丸坊主。女性生徒は赤のスカーフにセーラー服。卒業式、始業式や終業式には白のスカーフに心がときめいた。悪さをすると指導教員にこの部屋に呼ばれ、ご指導を仰いだ後に手バリカンで5厘刈。丸坊主頭を一段と青くされた。

 

 このバリカン手入れが悪くいつも錆びていた。だから頭髪を刈るというより、髪の毛を抜くようなもの。だから指導より痛いこと、痛いこと。それも今となっては青春の1ページ。

 

 中学校卒業の日、だれかの白のスカーフと当方の詰襟の第二ボタンを交換した思い出が残っている。誰と交換したかは記憶にないが、当方にとっては、かけがえのない「白線流し」のワンシーンだった。