左手に未練、右手に欲とはよく聞く話だが、俗世に生きる人間はいつもこうした衝動に囚われながら生きている。最近、戴いたメールの中に未練と欲という二文字があった。きょうはそのことについてタラタラと・・・。
未練とは諦めきれないこと、心残りを云う。一方、欲とは愛欲、欲情、欲望など、欲しがる気持ちだ。物欲、意欲、名誉欲などといった使われ方もする。
さて、なぜ未練が断ち切れないのか?それは今日までの想い出が強烈すぎて自分が生き抜いて来たことそのものを美化してはいないだろうか。それが原因で自らの目の前に起きている現実を受容できないのかもしれない。
病気や事故に遭遇した時に「何でこの俺が・・」「世の中にはそんな目に遭っていい奴が五万といるのに・・」といったのも、自分の生きてきた歴史を良いも悪いも全部ひっくるめて希少性や個別性を美化しているのかも知れない。
だから、過去を振り返る時間を少なくしないと、この「未練」は一生絶ちきれない。 そして、連れ合いも、元カレや元カノとの別れもそうだが、喪失した淋しさやショックを未練だと自らが勝手に勘違いしているケースもある。
つまり、支えを失ったことを自分勝手に「未練」に置き換えてしまっている。だから、その穴を埋めるために焦って構わず再婚をしてみたり、一見の出会いに恋愛感情を高めてしまうこともある。こうなってくると、本末転倒。新たなパートナーに傾斜し過ぎて、だんだんと新たな二人の関係が重くなっていく。
前述の夫婦・恋愛関係でいえば、連れ合い、元カレや元カノを失ったことを悲しんでいるのではなく、夫や妻、彼氏や彼女といったステータスを失ったことにショックを受けていることに気付いていない。そんな振り返りがないまま次のステージに足を踏み入れてしまうものだから再び失敗する。
人間は、元来欲どうしく欲の深い生き物だ。一度は諦めたつもりでも、なかなか諦めきれないこともある。ここまで生きてきた証(拠)を失うことに対して人間だからこそ、それを恐れて未練を残す。
でも、よく考えれば、その未練があればこそ、今ある現実を何とかしようと前を向くことが出来るのかもしれない。もっと言えば、未練をずっと抱えて生きていることこそが「今を生きる」という「生命力」につながるのかも知れない。
(今日のおまけ)
御大!!ある方の一言がきっかけで、当方、人間は未練タラタラで結構!と考えるようになりました。
戻らぬ過去や今までの自分を悔めば悔めばこそ、それこそが明日に繋がる「欲」の源になるのだとその方に教えられました。