Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

美しきは罪なり(エイプリル・フール)

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  「散る桜 残る桜も 散る桜」これは、戦時中の特攻隊員が出撃前に口にしたことは、あまたに聞かれる話だ。また「花は桜木、人は武士」という言葉もある。武士の潔さは死に際にあり、桜もまた散り際が見事であるから美しいとされるのが通説だ。でもよくよく調べてみるとそうではなくて、元々は良寛和尚の辞世の句(禅語)だということが解った。

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 つまり、「今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る」良寛自身の心の句だ。 

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 ゆえに、人も桜と同じで咲いた瞬間、産まれた瞬間から、やがて散りゆく運(命)を背負わされているのである。それは、その人の人生の長さでもなく、幸福感や充実感でもない。という風に聞こえてしょうがない。

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  究極すると、死ぬことの根本の原因は、この世に生まれたことにあると説いている。   だからこそ、日本人はなぜもこんなに「桜」を愛でることが出来る。それは、「散り際」の美を感じているのではなく、桜が咲いた時に世に「生きることの儚さ」を感じているのに他ならないのではないか。

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 花は咲いてこそ花であり、花の美しさを表現することができる。人間同じでも生きて生き抜いてこそ散ることが美しく、生き抜いてこそ散れることに喜びを感じるのではないか。

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 その一方である医師は、こうも言っている。 「春こそ女性の季節であることを体が知らせ、人々は胸騒ぎの春の訪れを大喜びしているのです。ほとんどの動物がもつ発情期の熾火(おきび)が、人間の女性に残っているのを感じる生命の季節です。」ですと。となると早生まれの人は発情期に種付けされた子ということになる(秘め事の副産物である当方も早生まれ)。

 

(今日のおまけ)

 「桜の樹の下には屍体が埋まっている」「墓場の桜は見事で美しい」と良く聞く。その桜は狂気なのではなく、桜が持っている本来の美しさが度を超しているということなのかも知れない。時に転じて美は力となったりもしたり、暴力や殺人にまでに至るかもし知れない。

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 そんな、こんなもあって、今日は当方が最近とった「桜」の写真集を皆様にお届けいたしませう。