koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

定型句

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   不祥事が発生した際、信用を失いかけたその組織自身が調査をするよりも、中立公正な第三者が調査をするほうが事実関係、原因究明等の信頼性が高まり説明責任が尽くせリスク回避ができるということで、どこでも「第三者委員会」の設置が定型句のように大流行だ。

 

  しかし、誰がその委員を決定し、委員とその当事者や組織が過去の履歴も含め全く関わっていないということをどのようにして証明するのか?委員メンバーが弁護士、学識経験者や評論家であっても独立性・中立性・専門性だということを誰がジャッジし担保するのか?

 

  そう考えると、全ての利害関係人のために公正、公平で中立的な「第三者委員会」など、この世に存在しないのではないかと思ってしまう。でも、当事者や組織が逃げを打つには格好のツールだ。あの舛添前都知事がリオ・オリンピックの閉会式に五輪旗をどうしても引き継ぎたくて、不正の解明に「第三者委員会を設けて原因解明を・・・」と記者団に向かって、連呼し辞任を回避しようとしたのもその類。その時、記者団から「ご自身がメンバーを選任した段階で、『第三者』ではないのでは?」と、この場面でも疑問の声が上がった。

 

  それでも、一旦この委員会から不祥事の事実、原因が公表されると、事実認定されたごとく思ってしまうのも不思議だ。そしてこの「第三者委員会報告書」をもとに一旦報道がされると、この中身がいかにもオーソライズされたが如く見えてしまうのも不思議だ。   最近起きた、東芝、日産などの不祥事、学校のイジメ自殺・事件、今回の女子レスリングのパワハラ問題にしても、定型句のようにこの「第三者委員会」が登場する。内容をしっかりと読み返さないと当事者や組織に都合のいいようにやられてしまうノダ。

 

(今日のおまけ)

 「対話のための対話はしない」と北に向けて日米が揃って口にしているが、今回の南の北への訪朝は「対話のための対話」をしているようで仕方がない。現実的にみると「終わりの始まりが始まった」のか「始まりの終わり」かも知れない。

 

  ※ 「今は終わりではない。これは終わりの始まりですらない。しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。」(ウィンストン・チャーチル