Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「そだねぇ~」

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   今日はことあろう、昭和11年2月26日に226事件が発生した日だ。陸軍皇道派青年将校が1.千余名の下士官兵を率い「昭和維新」と称したクーデターを起こした。29日まで陸軍が制圧するまで事件は続き、高橋是清ら政府の重臣が次々と暗殺された。

 

 気骨というか、一徹というか、覚悟というか、戦前の将校らの思想、行動力、精神力には驚かされる。この事件は桜田門の変に次ぐ近代(現代)日本史上、稀に見る反乱事件であった。私事で余談ではあるが、その後10数年を経てこの月に徳兵衛は生を受けた。事件の当時も「当方が産まれた時も大雪で雪を被った南天の実の赤が印象的だった」と母から聞いたことがある。

 

  そこで、この226事件からヒントを得て、戦後の若者群像を追って「考証」してみた。

 

①1960年代の若者といえば、「団塊の世代」   

   戦地や軍需工場などに駆り出されていた男性たちが家庭に帰ってきたため、出産ラッシュが起きた。団塊の世代は、敗戦の焼け跡に生れ落ち、欠乏と混乱の中で育ちながら、一方では貧しい者同士の助け合いや連帯の意識を培った。戦前・戦中派の持つ古い価値観に反抗し、政治や体制に異議申し立て学生運動が盛んだったあの頃だ。あの頃の当方といえば、そうした若者像にはほど遠く、太陽族、カミナリ族が横行を横目にまさに「ノンポリ(ノン・ポリシー)学生」と呼ばれていたことを思い出す。

 

②1970年代の若者といえば「シラケ世代」.

     団塊の世代の若者たちが繰り広げた学園紛争とその敗北、武力闘争の成れの果てに「仲間の殺し合い(総括)」にはじまり、とうとうそれは「あさま山荘」事件にまで発展した。その一波が終わると「無気力」、「無感動」で、「意欲減退」しながら「やさしさ志向」で、荒々しい競争社会を生きることから身を引いている当方のような若者が目立つようになった。

 

③1980年代の若者たちといえば、「新人類世代」

  高度経済成長期の豊かさの中に生まれ、幼児期から高度情報化社会のメディアやテレビゲームに囲まれて育った世代の青春時代。 徳兵衛の子もたちもそう呼ばれていた。モノオジじせず、デートがあると言って平気で残業を断り、 同僚とは一切付き合おうとしないし、 上司が飲みに誘っても乗ってこないのが特徴だ。平気で会社を辞めてしまうなど、従来のサラリーマン意識とは明らかに異なる絶対的な価値をもっていて「エイリアン」とも呼ばれていた。

 

④1990年代の若者たちといえば、「平成生まれで団塊の世代を親に持つ世代」

   若いころ既存の体制や価値観にことごとく異議申立てをしてきた団塊の世代は、自分が親になってもダメなものはダメと言う絶対的なものを子どもに教え込むことができないまま、結果的に何でもありの状況を許容してしまった。この結果、この世代は特に性意識、性行動に異常性や特異性が見られる。

 

(今日のおまけ)

    どうでした、若者群像に見た時代考証。でも、その一方で、これまで日本の発展の原動力となったのはその世代の若者たちだったことは紛れもない事実ダス。大人や親たちは、よく「今どきの若者は・・・」と目くじら立てることがある。昨日25日に終わったヒラマサ五輪の日本の若いオリンピック選手の表彰台に立つ姿を見れば、時代は変わっても、いつの時代も、時代に流されず「やる奴はやる!」のだ。

 

    世のお父様方、お母様方それは杞憂に終わる筈です。「心・配・御・無・用!」