Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

確率より可能性に賭け、捨てる勇気を持つ。

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  火山予知に代表されるように気象予報士や政治家が多用する言葉に「その可能性はゼロではない、ゼロだとは言い切れない」なんて言葉をよく耳にする。そんな言い方をすれば、この世の中は責任放棄の逃げ切りばかりの世界だ。「ないことはない!」も、責任回避のための典型的な逃げ口上だ。

 

 ここで確率論が引き合いに出される。再発、起きる可能性を百分率で表すと、10%から20%の確率で、てな、ことを医者から言われると。空恐ろしいことになる。10人に1人、5人に1人ということだが、これって結構、高い確率だということが分る。  

 

   だったら、可能性は高いとか、低いとか言われた方が当人は気が楽だ。不確実性だらけ未来や将来が故に思うは、「人生万事塞翁が馬」になるということ。なるようにしかならないということを肝に銘じておいた方がいい。

 

    歩道を慎重に歩いていても理不尽な運転をする車にはねられる可能性はゼロではない。つまり、自身が、悔いの残らない選択をするよう、確率より可能性に賭けてみてはどうか?   さて、あなたは確率をとるか、可能性をとるのか、正解はどちらともいえないが、ただ、明言できるのは、物事を決める時は、どちらか一方を捨てる事が大切ナノだ。

 

    捨てる事はとても怖い事で勇気もいることだが、大切な事は自身が腹を括って覚悟を決められるかどうかだ。覚悟を決めることによって、自分の軸がハッキリ自覚でき、気持ちが楽になり、そしてその後の行動も変わり結果も変わってくる。  

 

   とは云え、決断するときは不確実な未来と向かい合うため、リスクとの葛藤に苛まれる。何か大きな決断を下すときは、不確実な未来に突っ込んでいくのがとても不安だ。これこそ決められない人間の一番の弱みなのかも知れない。

 

(今日のおまけ)

 女房や子供たちはとっくに当方のファミリー特約から脱走し、いまや当方、「一人でも割引」をご利用するスマホを持たない正真正銘の「ガラケー派」である。でも、最近の若者はほとんど重症、重篤な「スマホ依存症」。  

 

   即ち、若者にとっては、スマホは自分の化身であって、スマホばかりをいじるのは、マスターベーション(自慰)そのもので、自分の都合を誰よりも優先させている。つまり、そのことが生身の人間とのコミュニケーションを阻害していることを全く意に介していない。

 

 「検索」、「カメラ」と「メール」さえあれば、いつ、どんな時でも対応できると錯覚している。冗長に論理を構成しながら、筋道を立てながら自分の意思を相手に伝えることが出来ないのだ。彼らに一言注意しようものなら「いいじゃん!」とか「アタチの勝手でしょ!」と来て、相手に不快感を与えていることすら自覚できない。

 

 もっとも森口尚史助教なる素性の判らない男が、ノーベル賞受賞の山中伸弥教授のIPS論文をコピペして盗用する時代。若者たちをそうしているのは、こんな大人たちなのかも知れない。  

 

  あすたのネタは明日の心だ!!オタノシミニ。