Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「子ほめ」(2-2)

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  金子氏は相談にこう答えている。

 

 「この話から、ほめることに慣れていない人間が、付け焼刃でほめてもうまくいかないという教訓を得られるでしょう。口が悪かったあなたが突然、お世辞ばかりを言ってもうまくいかないし、かえって信用されないでしょう。

 

    私自身を顧みても、急に自分の性格を変えることは難しいものです。悪口や毒舌を無理して急に止めようとせず、周囲に受け入れられる良い方法はないか考えてみました。  『数』で考えてみたらどうでしょう。

 

   誰かの欠点ばかり見て、悪口を言ってしまうときには、必ず一つだけ、無理にでも長所を見つけることを自分に強いるのです。一つなら比較的容易です。いつも通り悪口を九回言ったら、長所を一回ほめる。これを続けていくだけでも、あなたが挙げた長所が真実味を帯び、悪口も親しみの表現に変わるのではないでしょうか。

 

 ちょうど、黒の碁石九つの中に一つの白い碁石があると目立つのと同じ理屈です。試してみてはどうでしょう」(一部抜粋・原文のまま)

 

 いかがでしたか?自分にもそんなところがあることさえ気づければ、それこそ大きな収穫だ。もう一度2-1をじっくりと読み返してください。

 

(今日のおまけ)

   言葉の使い方を誤解していた「(問うに落ちず)語るに落ちる」を語る価値のないほどつまらない人間のレベルにまで「落ちた」を「つまらない」という意味と解釈していた。「落ちる」の言葉のイメージと韻に引っ張られていたのだ。学問のない徳兵衛これだからどこに行っても赤っ恥をかく。

 

 真の意味は、聞かれていても答えを教えないのに、自ら本音や本心を語り始める状態のことを「語るに落ちる」(=語る状態に落ちた)。つまり「問いかけても落ちないが、語らせると落ちる」という意味だそうだ。

 

 あーそうか。それでドラマや映画の警察の取り調べシーンで「落ちる(自供)」、「完オチ(完全自供)」や「半オチ(一部供述)」を使うのか。妙に納得。お勉強させていただきました  言葉の使い方とその意味、喋り方や使う場面を間違えると、時として相手に発した言葉も暴力となる。