koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

益にも害にもならない

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  一般に、こういう人々は、毒にも薬にもならない人とか屁にもならない奴という。つまり、害にはならないが、かといって役に立つわけでもない、あってもなくてもどうでもいいもの。邪魔にはならないが、居ても居なくても何の影響もない人々の例え。

 

    厄介な人は、どこに属していても必ず存在する。当方も誰かにとっては疎まし存在になることもあるだろう。人の価値はやはり何年生きたかの年ではないと痛感する。

 

 先輩、上司や年上であっても柔軟さに欠ける人が大勢いる。反面、小さな子供や若い世代から学ぶことも多い。だから、普段から自省し馬の糞のように年は取っても謙虚さや誠実さは欠いてはいけないと思う。

 

 でも、そんな風に様々な人を鏡に、自身の反省点を見つけ改善できるか?多くの人は、年齢を重ねるほどに考え方が凝り固まる。記憶というものは時間がたつと美化される。そしていつの間にか苦労話や武勇伝だけが記憶に残る。それだけならいいのだがそれをひけらかし、その上、よせばいいのに若手や後進の活躍を邪魔したがる。こうなるとこれはもう「老害」そのものだ。黙って手も口も出さず、カネも出さないそれが「華麗なる老い」の姿だ。

 

 何かにつけて「反対、反対」は今の民進党を見ればお分かりだろう。批判やオブジェクションは対案や代替策があって初めてその価値がある。なければ「黙ってろ!」だ。「ハイ」「仰せの通り」のイエスマンも対局だが同類だ。自身の考えがなく具体策も主張できなければ、これも「黙ってろ!」だ。

 

 黙ってりゃ「あの人のことだから何か考えているのに違いない。」と相手が勝手に思ってくれる。昔、学校の先生に「キジも鳴かずば撃たれまい」ではないがある程度の実績を見せつけて寡黙を通せば、「お主できるな!」と相手が勝手に思い込んでくれる。と教えられた。でも、それには、潜在的に咄嗟に動ける行動力や瞬時の判断力を持っておく必要がある。それがなければただの案山子だ。

 

 妙な失言を繰り返せば「馬脚を現し語るに落ちる」。つまり経験や知識を蓄えつつ周囲には「喰えねえ奴」と思わせておく方が、イザ鎌倉!!という時にその発言力や行動力が高く評価される。意外にも「益にも害にもならない」人がそんな力を持っているのかも知れない。

 

(今日のおまけ)

 「やらない後悔よりやった後悔」、つまり、「やらないよりやった方がまし」ということ。多くの人間は過去を引きずる。後々まで「あれやっておけばもしかしたら成功してたかもなぁ」と思うのは当然。「やらない」とは、結果が出ないことで延々と重苦しい気持ちを引きずる。

 

    ならば、いっそ「やってみて」その結果の成否に限らず、結果(術後)を受容することが大切。先日の主治医の言葉に、手術を受けようと気持ちは大きく振れた。