koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「天空の鏡に映らない子供たち」

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 21日の深夜、BSフジのドキュメンタリー番組だったと思う。子供の貧困をテーマにした番組で、子供に対する親、社会ひいては世界の責任を考えさせられた。バラエテイ番組、お笑いタレント番組や歌謡番組に比べ、深く辛く、真剣にかつまざまざと現実を見せつけられ、心をえぐられるような気持ちで最後までみた。

 

 場所はボリビア、トポシ。そこに標高4100mの「セロ・リコ」。銀を豊富に産出するその山は、スペイン統治下でも三大銀山として遠くヨーロッパでもその名をとどろかせ、いまでも僅かながら銀や錫が産出されている。すべて手掘りで防塵マスクどころか換気や事故対策はほとんどなされていない。ここに子供しか入れないような坑道がいくつもあって、そこに10歳前後の子供が大勢働いている。4歳となればネコ(一輪車)で一人前に鉱石を運ぶ。

 

    水も食事もとらず、一日かけて土嚢4袋に鉱石を詰めて運び出す。日当はそれでいて高々160円だ。こんな小さな子供たちが働らかなければならない事情もある。ほとんどの家庭の父親はここで働くが、落盤事故や灰じんで亡くなる人が多く40歳前後が平均寿命だ。そのため、家計を支えるため子供が働らかざるを得ない現実を見せつけられた。

 

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   その一方で、街ではシンナー中毒のストリート・チルドレンが溢れ返り、10円足らずのチップで車が信号待ちの旅にフロントガラスを拭いている。雨が降れば仕事はない。10歳半ばで妊娠、産まれた子供は強制的に施設に預けられ、仕事を持たない少女自分の子供にも会わせてもらえない過酷な現実。見るのも辛い内容だ。

 

   日本には子供の貧困がないとお思いの方々。ストリート・チルドレンのような「絶対的貧困」ばかりではなく、国や地域の子供が享受すべき公平な教育や生活が維持できない「相対的貧困」が日本国内で今、急増している。

 

   赤ちゃんの産み落とし、シングルマザーや生活保護世帯の増加。やがてこの子らは「なぜ僕なのか」が「どうせ僕なんか」に変わり気持ちも荒み、非行に走る。周囲が「君だから」、「君しかいない」といった勇気ある環境を大人や社会が作っていかなければ、日本でも「セロ・リコ」の坑道で働くような子供が路上に溢れる日もそう遠くない。

 

(今日のおまけ)

 岡谷、富岡の製糸工場と、何とか遺産だと浮かれているようだが、その歴史を本当にご存じなのだろうか。どちらも片倉(カタクラ)が絡んで、女工哀史だの「ああ、野麦峠」だのと当時が再現される。でも、現実は、奴隷、人身売買に等しい。諏訪の片倉館の仙人風呂にも入ったがあれは、もともと繭のさなぎを湯がいた施設。女工さんが仕事終わりに利用したなぞはまっかなウソ!

 

 前述のトポシにも1日わずかな賃金で働きいくらでも取替可能な労働力「先住民」と「アフリカン奴隷」を800万人もストックしていたのだ。スペイン人にとって、ポトシの銀はほとんど元手をかけることなく手に入れることができる財産であり、ポトシの町はまるで打出の小槌のような存在だった。岡谷、富岡といい当時の日本の構図とよく似ている。