koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

憧憬

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 冬:強い北風が電線を唸らせる。電柱の取り付けられた街路灯の傘がカタカタと音を立てながら震えている。トタン屋根もめくれてパタパタと声を出して泣いている。今夜も寒い夜だ、冷たい煎餅布団に身を縮めて潜り込み、独り部屋の片隅で遅い夜明けを待つ。隙間風に風花が乗って顔に当たる。寝ていても吐息は白く流れていく。

 

 春:家の脇の土手に土筆が芽を出す。休耕田には白詰草が花をつけて春風に揺れている。富士の山も南アルプスの周囲の山々は、まだ白い衣に覆われている。高い空にはひばりが囀り、もう少しで苗代作りが始まる。田に水が入る日も近い。霜除けの古タイヤを燃やす黒煙も見かけなくなると、もうすぐ桜前線がここに北上してくる。

 

 夏:蚊取り線香のと蚊帳の朝の香り、寝巻きは、昨夜のはだけ寝相の悪さを物語る。朝から蝉の鳴き声があちらこちらから聞こえて来る。ラジオ体操の出席印を貰って午前中には氷屋に行って、ブッカキ氷を買ってくるのが日課だ。午後には川で泳ぎ、魚を獲り川岸で焼いて食べた味も忘れられない。無邪気に過ぎ去って行った暑かったあの夏。

 

 秋:庭の柿の実が色ずく。一枚の葉が落ちていくのは実を稔らせるためのお仕組み。親父が鼻歌交じりで「17、8の姉さんが片手に花もち線香もち♪」「もしもし姉さんどこ行くの♪」「私は、九州鹿児島におお墓詣りに麻ります♪」「ナムチン、カムチン。ナムナムチン♪」親父がご機嫌の時は、必ずこの唄がでる。夕方に、酒の肴に近くの魚屋に鮪の刺身を買に行かされる。でも、ご褒美にと一度もその刺身を口にしたことはなかった。頑固で気難しい親父だったが、そんな親父も今はもういない。

 

(今日のおまけ)

 この歳になって、なぜか今日は妙にセンチだ。幼少の頃の匂い、音、そして当時の色彩が鮮かに蘇る。良きことも悪しきことも、過ぎ去りし時を思い出すのは余り良くない。

 

 でも、「懐かしい想い出はこれから先の未来につなげ、その時の転んだ痛みの思い出は、その時どう立ち上がったのかを教訓とすることが大事だ」と亡くなったお袋が良く口にしていた。生への絶え間ない執着なのか、それとも漠然とした死に対する不安なのか。先の法事での法話の中で「所詮、御仏の掌の上に乗る今生の我が身。命は長いか短いかではない。『旅たち』は誰の身にも必ず訪れる。」という下りが頭に浮かんだ。

 

 今日、独り重篤な近しい知り合いが一般病棟の個室からホスピス病棟の個室に静かに移った。そんな彼の目にも小生と同じように、少年時代の憧憬が浮かんでいるに違いない。

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