「浪花に来てまんねん」。関西出身の友人から言わすと「まんねん」とは言わないらしい。関東の人間にそう言われると馬鹿にされていると勘違いするから、多用しない方が無難だという。それに無理して関西弁を喋ってもイントネーションでよそ者だとすぐ判るという。
何で大阪にいるのかはさておき、ここには独特の上方文化が息づいている。新大阪駅を降りた瞬間、臭いと香りが違う。エスカレーターの昇降も江戸とは真逆だ。早めに行きつけの堂島ロール(現在は名称変更)と551の豚まん手当し、御堂筋、ミナミに繰り出す。明日は、大阪(嬢)、戎橋、アベガバカスルならぬアベノハルカスにでも行こうかと。
文化と気質(カタギ)の変わり目は、食文化にも通じている。「そば」の文化は木曽で途絶え、尾張では、「きしめん」、大阪に来ると「うどん文化」に変遷する。唯一、西日本ででそばの文化が残るのは「出雲そば」ぐらいだ。北前船が北海道に渡ったように、映画「砂の器」(原作:松本清張)で亀嵩に東北なまりが残ったのと同じ構図だ。
さて、このブログは、明日の掲載用に帰京の新幹線の中で書いている。帰阪してここで印象に残ったこことをお口汚しに一つ、二つ。兎に角、大阪は関西人より中国人やアジア人が多いこと多いこと、宿でも、街中でも溢れんばかりだ。白人はともかく、同じアジア人でも一見して外者だと分る。なぜだろうスタイルなのか?顔つきなのか?港を持つ町は外国交流が活発だ。その分、妙なやつらが山間で過疎の里山に入り込み悪さを企む。
アップしたフォトを見て貰えば、徳兵衛の旅(恋)路がお分かりだろうが一番の興味は、アベノハルカス59階の高度感ある金隠(トイレ)だ。これでは落ち着いて用を足せない。それどころか、地上300メートルで用を足した糞尿の処理落下速度はと思うと、浪花(?)に恐ろしくなった。
(今日のおまけ)
ついでに旅話をもう一つ。新幹線の座席ならともかく、航空機内の座席は狭いし満席の時は異常な混雑感と閉塞感を覚える。特にエコノミーで靴を脱がれた日には、本人はいいが周囲に相当な悲劇的な足臭が漂う。
ある日、後部座席の男が靴を脱ぎ、通路側に足を投げ出しリラックスしていたが、前席の客はたまったものではない。その臭いといい臭さといい、まるで排水溝から沸き上がるの悪臭だ。とうてい我慢できなくなりCⒶをコールした。彼女たちはある意味、接客商売だから搭乗客の気を害してはならない。
そこで、手慣れたベテランのアテンダントが当人に向かって「機内に異臭が漂っているとの申告がございました。」と前置きしてから「お客様、オミアシがクソウゴザイマス!」と進言した。後部座席の男慌てる様子もなく黙って靴を履いたのだとさ。モノは云いよう。