お墓で走り回ってはいけない。葬式の写真は撮ってはいけない。御供物は食べてはいけない。どれも、これも道理があってもっともなことばかりだ。お墓では手を合わせ心静かに手を合わせる。そのため、走り回ったり大声を出して笑ったり話をしてはいけない。子供のころ母親によく叱られたものだ。
義母の闘病記を書いたことはあるが、自分の両親の闘病記は書き留めていない。ただ、父も母も晩年しょっちゅう日記を書いていて、亡くなった後にゴミにも出せずこの処分に困っている。電子データなガサばらないがアナログの日記帳は始末に困る。
中をじっくり読んだことはないが、時々、パラパラめくる程度だ。切実な内容もあるだろうし、ぼやきもあるだろう。だいたい日記の内容は後悔や反省といったネガティブな内容が多い。勿論、人に見せるために書いているのではないので、至極当然のことではある。
同病の人に、役立つ闘病記ならまだしも、単なる病状公開記録だけでは、切なく哀れしか残らない。心の中身、心情や私生活はあまり公開したところで読み手は「あ!そう!」で終わってしまう。なんのためのブログやツイッター公開なのか?何を訴えたいのか?「あはは!!」と笑える内容であれば、それはそれでいいのだが。読み手を辛い気持ちに陥れるだけの内容はいただけない。
小林麻央のブログは読んだことも、読もうとも思わないが、セレブな彼女が特別な医療チームに支えられながら、何を社会に訴え、何を伝えようとしているのか、未だその真意を計りかねている。衰弱していく肉体と精神を他人の目に晒して何になろう。サルも猫もそうだが亡くなる時はひっそりと目に触れないところで亡くなる。
(今日のおまけ)
このパソコンも、電気メーカーもそうだが、お客様・カスタマーサポートセンターや相談窓口は今や国内にはない。殆どがデスクは海外だ。特に多いのは中国の大連だ。ここは「リトル・トウキョウ・イン・チャイナ」と呼ばれ、日本人の働き手が多く日本語も通じイオンやコンビニも寿司屋もあって、さながら日本国内と同じ環境で過ごしやすいと聞く。
非正規社員が国内に溢れ、物価も高いので今や若者たちは中国や東南アジアに流出。人口減少、高齢化の加速、そしてこのような若者たちが真逆の海外志向。だれが国民の財産と生命を守ってくれるのか。もはや、竹やりだけでは国内外で戦うこともできない。