舞台は学校の放課後。教室で一人物思いにふけっている制服姿の女の子が、本当に大切なものに気づいたところから物語は始まる。仲間との何気ない日常こそが、かけがえのない瞬間だという同じ想いを抱いた仲間たちが、それぞれの思い出に想いを馳せながら、「カルピスウォーター」を手に持って学校の屋上に集まるとのアプローチ。スキマスイッチのこの歌詞が忘れられない。
躓いて、転んでいたら置いていかれて、泥水の中を今日もよろめきながら進む。汚れちまった中年のセカイには浮いた話なども無い。
どうしてか、頭の中に媚びりつく、何故なんか?どうしてなんンか?今でもわからない。そんな時代もあった、あの頃は前をまっすぐ見つめる瞳はキラキラと輝き、集まった学友の表情を見ると皆思わず笑顔になる。そんな大切な時間があったのかと、遠い昔を感じながら、この曲を聴くとなぜかセンチになるのは不思議だ。
(今日のおまけ)
ランニングもバイクも山登りもできなくなった徳兵衛。暇に任せながら山道具やウエアなぞをじっと見ているだけ。観葉植物に小さな芽がいっぱい出ていることにふと気づいた。先月当たりのブログに「葉っぱのフレデイ」を書いたが、このゴムの木は葉一枚だけを残してダメかとおもっていたら、さにあらず、しっかり芽吹いてくれたのである。もしかして、徳兵衛の病気も治るのではと「希望の轍」をみた瞬間でもあった。