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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

○○物語

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 ハカタチ、ハカアガリ、でんでら(蓮台野)、座敷ワラシ、河童淵等々の関連用語を聞けば○○に入る言葉は「愛情」や「探偵」や「源氏」でもない。正解は、「遠野」である。

 

 このうちハカタチ、ハカアガリの言葉に興味を惹かれた。山口、飯豊、東禅寺及火渡や土渕村の字土淵に、ダンノハナと云う地名があるらしい。その近傍に相対して必ずデンデラという地名が残っている。その昔は60歳を超えたる老人はすべてこのデンデラに追われ、死ぬる習わしがあった。

 

   老人はいつ死んでもおかしくないので、日中は里へ下り農作して口をつないだり、そのまま亡くなったりもする。病気になったり、口減らしのため老人はこの蓮台野に送られ、小さな小屋で集団生活をする。その為に今でも山口土淵あたりでは朝に野ら(仕事)に行くことを「ハカダチ」と云い、夕方野ら(仕事)から帰ることを「ハカアガリ」と言っている。

                                          

    死人が男性ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。 女性ならば、日ごろ口荒んでいた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは高声に話をしたりなどしてここを通り過ぎる。その歌が聞こえると、今度は何処ぞやの誰それが死んだなどと言っているうちに、間も無くその人も死ぬのだといわれる遠野の死の子守唄でもある。

                                               

    遠野伝承の「デンデラ野」には、必ずその付近に「ダンノハナ」と呼ばれる場所がある。そしてこの「ダンノハナ」こそが、墓場や火葬場がある。繰り返しになるが、遠野の「デンデラ野」。それは老いた者が村集落で暮らすことを許されなくなり追放される場所、いわば「姥捨山」のことである。かつて厳しい生活環境にあった遠野では、60歳を過ぎた者は口減らしのため「死んだもの」として扱われ、デンデラ野という「墓」に連れて行かれた。もっとも、連れて行かれた側もただいたずらに死を待つわけではない。動ける者は日中里に戻り、農作業などを手伝う報酬に僅かな食糧を得て分け合っていた。

 

   「生きながらに死んだことにされた者達の暮らす場所」「現世であり幽世である場所」として登場している。冥界と現世の境界地ともいえる。墓立ち、つまり動けず仕事に行けなくなれば、それは死を意味する。徳兵衛、遠に還暦を過ぎている。それでもまだ生きている。人生の終幕はどのように訪れるのか。怖くはないがやけに気にかかる。

 

(今日のおまけ)

  岩手の緑風荘、座敷ワラシで有名な大人気の宿泊施設で、向こう何年も予約で一杯だ。かつての取引先T社の高橋君は、何年も子宝に恵まれず、やっとの思いで奥さんと緑風荘に一晩泊まった時のこと、夜更けに夫妻が眠りに就くと、しばらくしてぬいぐるみが大きな声で鳴いたという。翌朝、自分だけが聞いたかと奥さんに尋ねると、奥さんも悲鳴のような鳴き声を聞いたという。改めて枕元を見ると、キリンのぬいぐるみが転がっており、その後、ほどなくして夫妻の間に男児が産まれた。この緑風荘、平成9年に全焼。昨年、再開したが座敷ワラシがいたとは聞こえてこない。死の向こうには生がある。という本当のお話。聞いた徳兵衛もいまだに信じられない。