Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

裏取り

f:id:koushuya:20170320000615j:plain

 捜査上の多方面からの証拠固めをいう。その一方で、新聞やテレビなどマスコミが報道するにあたって、報道内容が事実かどうかを確認したうえで一般に公開することをいう。それだけに、マスコミや一般大衆を味方につけ、自分自身は被害者でありお上や現体制の歪みを非難、批判することも簡単にできる。現実、本質や本来の姿から目をそらさせることも容易だ。

 

 新聞は記事にする前にキャップの目も入るうえ「裏取」するから、報道内容には一定の信憑性や信頼性が担保される。ただ、主語と述語だけを繋げて記事にすると目的語、その理由や背景が記載されてないだけに読者が誤解する可能性が生まれる。容易に大衆心理をコントロールできる。

 

    一方的に流される報道には要注意だ。切り出しやデフォルメによって、虚像、悪人や被害者は容易に作り上げることができる。特に生放送、生取材で突然マスコミを前に取材先が饒舌に喋りだすと、視ている側に同情や「やっぱり、そうだったんだ」と心理や心象をコントロールされてしまう。とくにスポーツ番組以外のテレビの生番組は注意してご覧になった方がいい。

 

    片方から一方的に流される証拠品、証言や会議での発言。それに惑わされる周囲が勝手に心象をつくりあげてしまう。籠池理事長が議員団を引き連れわざわざ報道陣のマイクを前に「安倍内閣総理大臣から寄付金をいただいたことを【伝達?】する。」との発言に各社が一方的に一斉報道する。それをみた視聴者は勝手に「やはり」と思ってしまう。

 

    真実は闇の中だが、トランプ米大統領の誕生の時も今回の事件もそうだが、踊らされているマスコミや議員団をみていると演出に一役かっていると思うと滑稽にも見える。森脇も豊洲もそうだが他にやることは一杯あるはずのだが?

 

(今日のおまけ)

 「記憶にない」、「記憶にございません」とか「そう思い込んでいました」、「私の勘違いでした」を枕言葉にあることないことを喋ったところで、偽証(罪)にはなりませんので念のため。ただ、追及にそうしたフレーズや釈明を多用すると、その人への自身の信頼性がタケノコの皮のように剥げていき、最後は食べるところがなくなるのでご注意いください。特にそこの「旦那さん」!そちらの「おエライさん」!