銀座でぶらり散歩、久し振りに独り銀座を歩いた。「紫野」で軽く食事を済ませて五丁目から京橋方面へ歩く。ひところより街並みや店並みはがらりと変わった。これも時代を反映しているのだろう。
その昔は老舗も多くどこそこに行けば何が揃うと分ったものだが、今は何処に行けばいいのか判らない。日本の一等地といえば鳩居堂前。バブルの頃は、ハンカチ一枚の大きさの土地が3千万円もした。そのころ、徳兵衛も田舎に猫の額ほどの宅地を買い求め、何れ田舎に棲む予定だった。そのころから比べれば地価は⒍分の⒈にまで下がった。その間の固定資産税だけで3百万円も支払った勘定になる。
そんなことをつらつら考えながら、アンパンで有名な「キムラヤ」に立ち寄り定番のアンパンは勿論のこと今、人気の「あんバター」を買い求め、それを口にしながら山野楽器前を歩く。こんなに盛況な「キムラヤ」も近々店を閉めるという。パレードや箱根駅伝で賑やかな中央通り沿いの懐かしい店がまた一つひとつと消えていく。
京橋駅の近くになると、アジフライで有名な「松輪」が見えて来る。昼時ともなると長蛇の列に正午までには売り切れてしまうほどの人気店だ。「美々卵」のうどん、片倉ビル地階のレストラン、明治屋の洋食カレーや千疋屋のランチ、津村ビルから丸善、三越前まで歩いてみた。昔の想い出にこみあげて来る寂莫感、若いころは30分ほどのコースはこの日に限っては1時間以上もかかり、足取りも重く自らの齢を感じざるを得なかった。
(今日のおまけ)
6年前の3月11日、東北大震災のとき、この徳兵衛は災害対策本部の責任者にいた。人の使い方の難しさを知った反面、こうした時に人の本性や能力がよくわかった。口先だけで一向に動かない人間、報告だけを求める役員、パフォーマンスばかりを気にするセクション。この時のむき出しの人間像をみて、以来そうした人種とはお付き合いをしなくなった。
対策本部には一般の方からも電話が入る。富岡町や楢葉町からの相次ぐ電話。電話の向こうから嗚咽まみれの女性の悲痛な声で「助けてください!!・・・お金も食べるものも、何もない・・・どうか助けてください、お願いです・・・!!」。一瞬、我を失ったことを今も鮮明に憶えている。