前に勤めていた会社のお話。採用人事の担当役員は、ひとしきり片親だけの女性を採用し続けた。妙な思想だ「片親は小さい時から苦労を強いられているので、逆境に強く素直で誠実だ」との発想だ。その延長線上に「貧乏人や生活保護者は忍耐強く、我慢が利く」とも云った。それは、貧乏や片親に対する差別、偏見で却ってそうした人の感情を逆なで、助長する。
逆にいえば、その手の類は逆に偏屈で歪んだ人も多いのも事実。幼少期に十分な愛情が注がれず、素直に愛情を受け入れることが出来ない。このため不可逆的な病に至る。変わり者は、何処まで行っても変わり者なのだ。
その昔、救世軍の社会鍋や傷痍軍人を街角でよく見かけたものだ。戦後75年も経って、未だに戦争責任に声を荒げる国もある。戦争とは略奪、非情で残虐だ。だからこそ戦争なのだ。この季節は、赤羽根共同募金。交通安全の黄色、緑化推進の緑や海難救助支援の青もある。昭和40年代には10円の募金が払えない子はいなかったが、家庭のポリシーで募金には一切協力しないという、学校という共同社会の現実を理解しない頑固おやじもいた。
だが、いまでは、「赤い羽根」を使用している国は日本と南アフリカの2カ国だけだ。甲府市の小中学校校長会は、昭和38年に学校募金は一切お断りすると決めた。募金の使途は必ずしも明朗ではなく、職員の給与だったりもしている。
駅前のボーイスカウトのお子さまたちを使っての「歳末助け合いの募金によろしくご協力お願いしまーす!」張り上げる声こそ卑怯なやり方だと思う。そんな子供たちが変わり者にならないことを祈りたい。そんな徳兵衛も、そのうち「変わり者」の誹りを受けるかも知れない。
(今日のおまけ)
ご挨拶状に句読点をつけないのは、世間の常識。そうは言っても「モーニング娘。」とか「藤岡弘、」はよく見かける。「○や、」をつけ体言止めにして名前そのものを商品化やブランド化を図っているらしい。所詮、ネット上のスラングだが、「ふざけるな」と「ふざけるな(怒)」。「だめ」と「だめ(笑)」の意味の違いがはっきり判れば、貴方はれっきとしたネット住民(マル)
それにもう一つ。「ご苦労さん」は上から目線の上司言葉。正しくは「お疲れさま」。言葉の乱れと服装の乱れは不良のはじまり。「押認!!」