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koushuyaの徒然日記

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

駅前風景

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 時代とともに駅前の風景も変る。その昔、わが国分寺駅北口には「西友」をはじめ、パチンコ「ナポリ(現存)」、お世話になった山梨県出身の日向のおっちゃんや家族が切り盛りしていた食堂「宝来軒」、その後にできた輪島功一の団子屋「ダンゴノワジマ」、「国分寺オリンピックショッピングセンター」、またまた出ました三億円事件東芝府中工場へボーナス支給のために現金輸送車が出庫した「日本信託銀行国分寺支店」。南口には府中競馬場前まで走っていた「下河原線」、それに西武の「多摩湖線」、「国分寺線」や「鉄道学園」など、わが街、国分寺はあらゆる面で起点になっていた。もちろん「武蔵野線」も走っていなかったし、「西国分寺駅」などもなかった。

 

 その後、区画整理や再開発が進み、駅周辺は様変わりした。「JR」の「エキナカ」戦略で、今や駅ビルに客も店舗も集約され、周囲の小売店や食堂が次々と店を閉める時代となった。それとともに時の流れや商売の盛衰がわかる。都心の東京駅周辺も丸の内側の再開発が終わり今や八重洲側の再開発が進む。ブローカーが暗躍しているか、退去、撤去ビルに中華料理店やマッサージ店が多いこと多いこと。

 

 この三多摩地区も同様で、その昔は、和民、笑々などのチェーン居酒屋、街金や英会話教室やパチンコ店が多かったが、若手やサラリーマンのチョイ呑みスタイルの転換、過払金返還によるノンバンクの衰退、娯楽趣向の変化や英会話ノバの授業料返金問題をキッカケに相次いだ英会話教室の閉鎖などで、駅前の看板風景もだいぶ変わった。

 

 今や、少子高齢化や共働き世帯の増加を反映して、学習塾、開業医、薬局、洗濯屋やセレモニーホールやATMなどの看板がやけに目立つ。看板一つで、世相がわかり好不況業種が判るというもの。もっとも過疎が進んだ、廃線まぢかの駅には、一日2本そこそこの列車が走り、駅舎も店もなく案内看板すら見当たらない。そんなまだらな日本列島。でも、高齢化の進む速さは、この東京が日本一!さあ、どうする東京。

 

(今日のおまけ)

 国立駅の名前の由来は、国分寺と立川の間の駅だから「クニタチ」、いまは、正式には「ニシタチ」、鉄道線名も同じ。京葉、京浜、東横、京浜東北等々、ところで、西武は武蔵野国(東京と埼玉)を西側を走るので西武蔵鉄道。東側を走るのが東武蔵鉄道、東武。創設者は根津嘉一郎東京メトロ早川徳次。いずれも山梨県出身。政治家とともに、中央に出た甲州人は強い。