Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

地獄耳

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   「戯け者」よ、いい加減にせいっ!近藤マッチが唄うのは「愚か者」。オまいらは「愚か者以下のタワケもの」だ。イラン、イラクイスラエル、シリアにレバノンと中東情勢は随分とキナ臭くなってきた。大英帝国ではEU離脱が本決まりになったかと思えば、ヘンリー坊ちゃんのご夫婦が王室離脱を宣言するなどサプライズが相次ぐ。それに台湾総統選で現職が圧勝すれば、日米からの祝意に中国本土が猛反発。蒋介石孫文の匂いが残る台湾に対して、未だかつて中国共産党にとっては相当な脅威なのだろう。

 

    それに加えて、除夜の鐘ヨロシク、ぬけぬけと密出国できたお尋ねモノ「ゴーン」もハリウッド映画でデビューだとか。ザルの日本の司法制度に誰も責任をとらない。お国も、裁判所も弁護士も警察も検察もダンマリ、み~んな「グル」だったのでは?「ヤラセ」と思われても仕方がない。

 

    カルロスの報酬や蓄財は、日産の元従業員や工場のリストラなどによって生まれたもの。なけなしのおカネで生活を繋いできた社員、庶民の給金、生活や家庭、借財、子どもを含めた家族を犠牲に、挙句に張本人はその金を使って高跳び。わが国での国外逃亡は簡単、豚コレラ、珍型肺炎やインフルの国内侵入や汚染物質の持込も自由。防疫体制も出入国管理もザルそのもの。これではいつ国内で伝染病やバイオテロが起き、化学汚染が蔓延してもおかしくはな~い。

 

    それに、折しもウルトラマン太郎防衛大臣習志野自衛隊空てい団で呑気な「降下訓練」にと、話題には事欠かない。大陸人や半島人を嫌う傾向は日本人の7割以上といわれるが、わが国も似たようなもの。先日の成人式には相変わらずの喧嘩、暴行、暴挙、爆竹に酔っ払いの暴走。2年後には18歳が成人との決まりがあるというのに、何たる「うつけ」の20歳どもよ。これがニッポンの未来を支える成人の伝統美なのか!それに、単位はく奪にハサミを逆手に大学教授相手に殺人未遂にまで及んだという現役大学生、こんな情況では世も末としか言いようがない。

 

    まあ、日本の若者に限らず偏向報道マスゴミに、汚職まみれの国会議員に不正だらけの上級国民に高級官僚。近年見られる社会や大人、若者、学生の幼稚化は、どうやら少子高齢化が背景にあると思えてならない。親も組織も社会もそうした「甘え」を許容し続けてきたせいではないのか。だから切磋、競争と淘汰が起きない。まあ、「自給自足」を「時給不足」と平然と云いのけていう最近の若者に対して、周囲も違和感を感じなくなってしまう。こうした「戯け者」が多いことも笑うに笑えない。

 

 先程挙げた「怒ルス(タンスに)ゴン」もそうだが、国民の潜在意識の中に拝金、守銭奴、金の亡者、金銭・権威・名誉・出世至上主義なる意識が潜在的にあるようだ。犯罪も社会も組織も教育も全てカネさえあれば何でも買えると錯覚しているらしい。そのくせ被害者意識やと顧客意識や自由だけは、やたらと強く主張する。これほどタチが悪く始末に悪い民族もいないのではと、隣国を笑えない。

 

   そこらあたりを闊歩している「戯け者」よ、相変わらず、まだそんな姿を晒しながら生きているのか!早く目を醒ませ!!浮世の醜聞には興味もないが、幹部としてOBとしてあるまじきお前のその言動はイツワリの偽物、欺瞞と偽善だ。

 

    だから「クサイ」「ダサイ」と評されるのだ。そんな声がこんな当方の耳にまでマルッと届いているぜ。

昔二股、今や三叉に四つ俣にも。

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 受診も検査も手術も、ひとつの医療機関や病院に集中させた方がいい。それができなければ無理やり紹介状を書いてもらって、なるべく受診機関をまとめたた方がよろしい。今日はアソコ、明日はコチラと、お暇なお年寄りならまだしも、受診先を分散すると現役世代の方々にとっては仕事もあるのでつらい。これに小児科などや産科が絡むとその手間暇や負担は相当なものだ。

 

 幸い、当方は意図的にチャミズの大学病院に治療を集中させた。でもいいこともあれば悪いこともある。電子カルテや受診結果は各科に共有される。食道がん手術に当たっては、歯周病との因果関係を学術的に解明したいとの見解から、モルモット同様に大学内の歯学部でオーラル検査もフル受検させられた。

 

 今回の経過観察検査もあれもこれもの受診も同日に集中させた。あさイチから血液検査に造影剤によるCT検査。午後からは、糖分泌外来の受診だった。検査には事前に同意書が必要となる。既往症のほか服用している薬などもつぶさに申告しなければならない。

 

 ところが、三か月前にS女医の内科医に処方してもらった薬をよく見ると、食前に服用との断り書きがしっかりと書いてあった。でもこの間、ずーとこのお薬、食後に服用していたのだ。そのうえ、年末年始、お屠蘇を呑み過ぎたと自己申告して保険を掛けながら、検査結果が増悪しているのは覚悟の上だった。

 

  それでも検査結果は思いのほか改善に。過去のインシュリン治療は回避できたことに思わずS女医の前で大声で「バンンザイ、バンンザイ!」の三唱連呼。糖分泌科に限らず頭頸部外科や本命の食外科も当病院での一日がかりの受診が続く。

 

    糖分泌外来のS女医の受診が終わり、食外受診の折、昨日前出のN主治医から「読影画像の妙なところに矢印が写っている」とのご指摘。当医師から「お屠蘇の呑みすぎではないのか?」との妙なお言葉。先ほど受けたばかりのS女医との会話がすでにカルテに書き込まれていて、それが受診科を跨ぎリアルに共有化されていたのだ。

 

 S女医との面談では、予防線を張るつもりで、誤服用に年末・年始の呑みすぎを釈明したつもりだったが、すでにこの院内では当方の個人(インンセティブ)情報は会話の一言、ひと言までもが共有されてしまっている。なんともおっかねえ話しだ。これが、いいのか、悪いのか?三叉受診が四股、五つ俣と増えないことを願う限ばかりだが、こればかりは自分ではどうしようもならない。

 

 先日の造影剤注入のCT検査では「がん」の再発、遠隔転移も見られず、事なきを得たが半年後には本格的な生検(バイオプシー)と精密検査が待っている。

 

 当方、学術的には貴重な標本のようだが、おっかねえ話はこれから先もずーと続きそうだ。

LOSS:会うは別れのはじまり

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 女房も、友達、知人、同僚も先輩たちにも、主治医と患者にも相性があるようでして・・。これが不思議なもので、気が合うから「相性がいい」というのでもありません。怒られ続けた苦手な教師でも思いが残るというのは、今考えれば相性が良かったのかもしれない。

 

 本当の意味で「馬が合う」とは、上っ面ではなく心の共鳴というか、互いに響くというかそれが、「あうん」の呼吸なのかもしれない。因みに「あうん」とは、「あっ!」とは、この世に生まれた時の第一声、そしてこの世を去る最期の時に「うんっ!」といって亡くなるのだからだそうで・・・。

 

 夫婦、上司と部下や先輩、後輩も恋人同士でもそうだが、喧嘩ばかりしていても、口争いばかりしているくせに空気が妙に馴染むというか、その相手がいなくなると不思議に淋しくなることがある。それこそが「相性がいい」ということの本質なのだろう。

 

 先日の受診結果については、後刻に譲ることにするが、准教授で当方を執刀したN医師が今春でこの病院を去るという。初診から運よくN医師にアタリ、その後は順調に治療が進んだ。いつも外来の診察は時間終了間際を予約してくれた。たっぷりと話してくれるためで、検査予約日時にも配慮戴き、その上、当方の私生活までの相談にも乗ってくれた。

 

 その先生が去るとなると、これまでのお礼もせずに失礼したこと自体が心残りだ。そしてこの先教鞭も執らないという。「渡米ですか」、「院長ですか」、「開業ですか?」と、訊くがそのどれでもないという。そしてこの大学病院には、もう二度と戻らないともいう。その一方で医者や官僚はこうした「渡り」が利くから実に羨ましいと思ったりもする。

 

 人との出会いや別れはある日突然にやってくるものだ。それは創られた運命でもなく、台本もないままに、意外な時にやってくる。「逢うは別れの始まり」と云うが、そうした覚悟をもって人と接した方が、別れた後の落胆、喪失感は少しでも和らぐ。

 

 今年の賀状で昨年、本家筋の「松本島々の名物オバチャン」が亡くなったことを知った。元気で飄々と世間や身内を評していたが。朝起きて来ないので家人が覗いたところ、寝床の中で亡くなっていたという。息子は医者だが、そのオヤジ(旦那)さんの面倒を看乍らも親父さんも若くして亡くした。今から数年前、ひょんなことで夫婦でオバちゃん宅に会いに行った。その時はまだ一人で車の運転もできた。その時が最後とはなったが、会えたこと自体、今でも本当に良かったと思っている。

 

 N医師との別れもそうだが、何か親しく、思いがあって、良くしてくれた人が去るというのは、何か自分自身が捨てられたような気分にもなる。

 

    そうした当方自身も、意に違いこれまで大切に、大事にしてきた何人かと幾つものお別れを重ねてきた。

男のコダワリは安物の買いの銭失いか?

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 性格、持論、小道具、愛着、収集癖など、とかくこの世に男なる動物はコダワリに拘る。物のない時代に育ったせいなのか、当方もその域にもれず、モノには結構こだわる。それが嫌味になることもあり、周囲から嫌われたり、敬遠されるのはそのせいなのかもしれない。

 

 好きな趣味、ランニング、山登りに自転車(バイク)、それに加えてお茶け。今日はその一つ当方の山登りのアイテムのほんの一部を御紹介しよう。今やヤフオクやアマゾンを見ながら収集してしまうが、直接店に行って買い求めるものもある。例えば靴、スノーシューやザックなどは、サイズ、履き心地や背中のアタリなど微妙なところがあるのでネットでの注文は一切しない。

 

    でも、今日ご紹介の道具は山登りのネットでもお買い求めいただける必需品だ。エイト環、スリング、ザイルは岩登りに欠かせない必要のモノだし、プロトレックの腕時計も高度や天気による気圧の変化、それに自分の位置を知るにはこれほど便利なものもない。

 

    それに小道具付きナイフやコッフェル、ストーブ、ストックなども緊急のビバークに備えて必要なものばかりだ。登山には、あらゆることを想定して道具を揃えるから、サバイバル用にコンパクトで機能が十分なモノが必要なのだ。だから必然的に山の登りには荷物が多くなる。そこらへんのおばちゃんやお年寄りがお気軽に、軽装でハイキンに出かけるが、これが一番危ない。

 

    とくに天気の急変に備えての雨具は、どんなに天気が良くても絶対に必要だ。雨に限らず気温低下時には、低体温症にも防寒にも夜露を凌げるから必需だ。そんなことをお構いなしに素人が山に入るのだけは止めて欲しい。それに山の中を「トレイルラン」とかいって、ランニングシャツ一枚の裸同然で走り回る馬鹿どもに、マウンテンバイクで山道を疾走する不届き者、いずれ山神さまの怒りをかって、そのうちコイツラは地獄に堕ちるだろう。と、いつも願っている。

 

    でも、こうして溜めた道具類が物置やトランクルームが自分のモノでいっぱいになるのだが、地震、緊急時や災害時にはこれが役に立つ。その代表格はツエルト(テント)、非常食が最たるものだ、そのうえ我が家には常時36ℓのミネラルワーターと簡易トイレが常時用意してある。つまり、電気、ガス、水道がいつ止まっても非常用電源装置の灯りの下に何も不自由はしないのだ。これが功を奏し実際に東日本大震災時には鉄壁の守りだった。

 

    ハミング・バード氏がいう、これこそが「自分の身は自分で守る」掟なのだ。だからこそ、新品や中古であっても道具は、機能性に優れたブランドや銘品に限るのだ。

 

 無印良品やドンキの安物ではまず命は守れない。そんな当方自身が三流品の一番の安モノなのかもしれない。

■あんたの情報丸裸!!

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 各都道府県は迷惑行為防止条例とかいって、プライベートにおける盗撮行為を取り締まりを強化している。でも、公安なぞはその比でなく、徹底的に個人の特定や足取りをマークする。今やNシステムはもとより、バスや新幹線の中にまで監視カメラが設置され、買った駅弁までもが特定できる。

 

     指紋、静脈や彩光どころこか顔認証によっても特定個人の行動がつぶさに捕捉される。例えば、スマホ一台からその人がいつどこで、何をしたのかもが分かってしまう。それは機能なかにプラベートログなるものが搭載されているからだ。これによって、勤務先、交友関係や宿泊先、自宅までもが特定できるという。

 

     だから、盗撮なぞ朝飯前のお話で、法規制の以前にデジタル化は猛スピードで進化している。住居や宿泊施設の客室での盗撮は勿論のこと、トイレ、お風呂、更衣室など、裸や下着姿でいるような場所は危険が危ない。それに教室、事務所、タクシー車内に加え、カラオケボックスインターネットカフェの個室などの「不特定または多数」が利用する場所も注意した方がいい。

 

 また、スマホに搭載されているデータ通信機能を悪用して、周囲の人にわいせつな画像を送り付ける犯罪行為も日常茶飲み事だ。それにもっと、恐ろしのは書店やスーパー、百貨店などが万引き防止のために常習犯を顔認証し、DBで共有化し「お尋ね者」として特定個人を店側がホールドしていることだ。これは民間事業者の私的なネットワークだから公権力や法規制が及ばない。つまり、本人が知らず知らずのうちに「前科」がつき、それはネット上のことだから、完全には消去できずに時効もない。そのうえ拡散される虞もある。

 

 そんなこんなで、ある日突然に何の覚えもなく、監視カメラデータや音声記録によって警察に連行されることも想定される。いまやクレカ番号やID、パスは駄々洩れの状態。SNSに始まり、ブログやメールのやり取りだけで、素人でも特定個人の行動が捕捉できる時代。古本、名簿屋から入手した同窓会名簿で追っかけするアナログ手法は今や古典的。

 

 どうやら、余計な情報は発信せず、慣れない機器は扱わず、じっと「庵」で読書三昧に耽っている方が賢明のようだ。

 

 年寄りが下手に情報機器やパソコンに手を出せば、要らぬ過去やプロフィールも世間に「出じたる」。