Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

おしんとおじんとおばん

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    当方の日課は現役時代と余り変わっていない。目覚めは今でも午前5時前後、洗面して、仏壇に掌を合せ神棚を拝んで、そして朝刊を読んでから一日が始まる。通院や用事がある時は別だが、朝茶を頂きながらBSの7時15分から始まる朝ドラの再放送と、現在放映中の「なつぞら」を楽しみにしている。

 

    この4月からの再々放送はなんと橋田寿賀子原作の「おしん」だ。乙羽信子の回想シーンから日露戦争後の東北山形の寒村からドラマは始まった。回を追うごとにやけに懐かしさと時代の匂いを感じる。深沢七郎原作の「楢山節考」もそうだが、なんとなく似たような郷愁に囚われてしまう。

 

   そう思えること、昔を懐かしむことがあるということは、結構幸せなことかもしれないと実感する。ガキの頃、半ズボンにランニング、川で泳いで、カエルやスズメを喰って、野良で遊んで「ツボ(たにし)」を捕まえて味噌汁にした味が忘れられず、今日も思わず地場産のタケノコを買ってしまった。当方、今では付き合う方々も少なく、お話する相手も少ないものの、こうして回想できることがあること自体、恵まれていると思っている。

 

    いまや、加害者も被害者も「自己責任」という短絡なフレーズで全てを片付ける世の中。リスクや災難を負わず、無難で安全に過ごす世界には智慧は生まれない。サリン事件で公共施設からゴミ箱が撤去されたが、その後中身が見えるゴミ箱に置き換えられた。阪神大震災で蛇口を下に押すと開栓された水道の蛇口は、災害時の漏水や漏電防止のため落下物を想定してレバーを上に引き上げなければ開栓しなくなった。だれもがこうして事件、事故や災害を教訓としてこそ、知恵や工夫が生まれることを忘れてはいけない。

 

    駅のプラットホームから水飲み場が消えたのは、国鉄の民営化による自販機の普及の結果であり、最近の金融機関のATMの保有台数減少も、地銀や信金などの地域金融機関の再編加速も、実は似たようなことが背景にある。時代は淘汰と再編整理を繰り返しながら、この先、巨大な覇権国家も生まれるだろう。でも、そんな時代の潮流の中にあっても、過去にその時代を生きて来た人間は、どの世代も生まれ育ったその時代を懐かしむのに違いない。それほど懐かしめる時を持てるということは幸せなことなのかもしれない。オヤジたちのブログやSNSの発信内容を見てもノスタルジアがそこにある。

 

   最後に、今年の7月からナナコのポイントは100円1ポイントが200円1ポイントになって、代わりに仮想通貨の「セブンマネー」が新たに発売されるという。多くの仮想通貨もいずれは破綻し淘汰されるだろうが、今や当方も仮想現実(VR)の世界に身を置く身、時代に環境適応力が無くなったモノや生物から自然に淘汰される・・。「馬鹿云え!!これ以上に死んでたまるか!」ガンバレ、そこの「おじん」と「おばん」と俺たちも・・!!

Which is a good young and old?

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 Which do you like younger or older? と、中学生時代に散々教わったのだが、いまは標記のように表現するらしい。つまり、和訳すると「お年寄りと若者どちらが良いと思いますか?」ということになる。

 

 まず、ご覧ください。とあるサークルの定時総会の模様です。これを不気味とせず何と感じますか。ご覧の通りそのほとんどがお年寄りで「昔取った杵柄」とばかりの気難しいインポ爺さんたちのマスタベーションの寄り合いです。わが方(←この言い方、高級官僚の決まり文句)も、はからずとも前期高齢期の花盛り、すなわち、この爺、婆らの一角を汚している訳でございます。

 

 先日、年金をテーマに当ブログに話題をご提供いたしましたが、今やお国は年金受給年齢を65歳から75歳に引き上げようと目論んでおります。反面、後倒し割増によって受給年齢を繰り下げたいと思うお年寄りは、なんと全体の1%にも満たないのでございます。

 

    つまり、お国は将来の社会保障費の増嵩により財政収支が悪化を見越して、働ける老人は精一杯働いて、その税金で動けなくなった高齢者を高齢者に養わせようとする魂胆なのです。これが、国が目指す「老々介護」の現実、国家的詐欺の現情でございます。

 

 その上、「長寿大国、ニッポン!」を標榜していているだけでは、わが国はこれ以上もたないのはお国も国民の誰もが知る処。なれば、介護水準を低めに誘導して、例えば後期高齢者の自動車運転免許の更新条件を一段と厳しくして事故や社会コスト減らし免許を取上げるなど、年寄りイジメの手立てはいくらでもございます。「金食い虫の年寄りを殺すに刃物はいらぬ、給付や医療費を上げれば、やがて露のごとくこの世から消える」のです。これにより少子高齢化時代のお国の財政は健全化へと向かうのでございます。

 

 話は飛ぶが、GDP(国民総生産)は国民一人あたりの労働生産力×人口で表せる。だから、社会保障費が嵩む老人が増えたところで、皆さんの組織と同様、わが国の若者による労働生産力が上がらなければ組織もお国も衰退弱小の一途を辿ることとなる。

 

 末息子がボヤいた。「親父たちの世代は恵まれているよな!おれたちの老後には退職金はおろかいくら掛けても年金は貰えないからな!」と、でもこれから先わが方も医療費や介護費負担の漸増によって、年寄りには真綿で首を絞められるような世界が待っている。若きが良いのか、それとも早く老いた者が勝ちなのか?さあ、貴方ならどっちを選ぶ?

 

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 今春の統一地方選の最中、原発反対を唱える野党。例えば、現存する高レベルの放射性廃棄物の処分については代案も代替案も示さなければ、云うに及ばず。なんでもかんでも反対のイチャモン野党ではこの国の未来は拓けない!!さて、君たちはこれから先、何をどう選択するのだろうか?

 

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  ご覧のように「さくら」の季節もぼつぼつ終わりに近づいて来た。さて、さて来春は君たちにとって、どんな「サクラ」が花を咲かすのだろうか(花咲爺より)。

今さらですが。

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 些細なことだが、そうだったのかと思うことがしばしばある。普段は気にも留めてはいなかった東京ガスのTVCM。あのガスと電気のおまとめサービスのコマーシャルだ。一方の(深田)恭子を東ガスに見立て、もう一方の(浜口)京子を東電の身代わりにしている。お恥ずかしながら、そのことが今さらながらに分かった。

 

 そのほかにも内田也哉子が父裕也のお別れ会の謝辞で「父と母は他人でも子供は(父と)血が繋がっている・・」との字幕を見ていたら、名前の也哉子の也は裕也の也で、哉は悠木千帆の本名の文字を取ったとのかと思いきや、彼女の本名は山田和葉。でも、裕也は裕哉とも書けるので、彼女が産まれた時の命名にそんな思い入れがあったのだと、今更ながら勝手にそう思っている。

 

 おそらく、樹木希林が女房でなかったら、内田裕也なる男の晩年や葬儀に、これほどまでにスポットライトは当たらず、彼は独り淋しくこの世を去ったのに違いない。その分、樹木希林の存在が際立つ。

 

 さて、新たな元号は「令和(レイワ)」。同じ響きの「例話」「零羽」、「零話」を模して、結構意味深いのかなと勝手にそう思っている。ローマ字略記は、明治(M)大正(T)昭和(S)平成(H)ときて令和(R)ときた。親父もお袋も大正、昭和、平成の三元号を生き抜いて亡くなった。当夫婦も昭和、平成、令和の三時代を子供たちと共に生き抜くとは不思議な気分だ。そんななか、一昨日の夜、旧知のN大兄の処に初孫が産まれたとの嬉しい知らせが舞い込んだ。

 

 平成最後に生まれたこの子も三代を生きることができ、良かったと思った。5月以降の令和(R)生まれだと、乳酸飲料のROUND1(R-1)から始まって、R2、R3・・と繫がって、令和15年生れならR15、18年生れならR18となる。つまり15、18禁の成人向けとなるので、多分その年の出生率は落ちるに違いない。

 

 最後に先ほどの裕也のお別れ会で堺正章が弔辞で、元プロレスラーのアントニオ猪木から裕也が闘魂ビンタをもらった場面を紹介したことを思い出した。マチャアキが「裕也さんはクラクラッとして、僕が支えたとき、小さな声で『シェケナベイベー』と言っていました。でも、気づかない僕がバカでした。本当は『医者呼んでくれ』と言ったんですよね・・・」との逸話を披露すると、一瞬、会場から笑いが起こった。

 

   この「Shake it up, baby」(鮭な弁当)は、本来、「テンション上げようぜ!と、聴衆を相手にオマエらも、乗ってけよ!ベイベーッ!」という意味で多く使われる。つまり、この場面での翻訳は『医者呼んでくれ』ではなく救急車に早く「ノリたい」ので『救急車を呼んでくれ!』が正解かと思うのだが・・。

 

   そういえば、当方が先日、トイレで、虫唾を吐き、腹下しをしながら『シェケナベイベー』を連呼していたのは、内田裕也のお別れの会当日の夜だった。

 

   PS:いまさらながら、関東地区での詐欺の類型は、還付金など官公庁を名乗った事件が多く、関西地区では手数料無料などおトク感を煽る詐欺が多いとのことで・・。

であい、ふれあい、いじくり先生

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 今度はチャミズの大学病院での治療、処置。当方も手慣れたもので、会社勤めのようなものだ。定刻に家を出ていつもの電車に乗って病院着。その間、新聞を読んだりメモを整理したりと、結構時間は潰せる。

 

 受付手順は心得たもので、診察カードを端末にかざして、ピツ!ピッピー!して、中央検査室へ一目散に、まずは採尿・採血と。検査結果は30分もすると出るので、そこらの病院や開業医とは大違い。それを踏まえ予約時刻前に糖尿病外来に出向く。

 

 案の定、診察結果は食事が摂れないことによる質の悪い血糖低下。ナトリウム欠症、ケトン体やたんぱく尿までもが出現。検査結果を見るまでもなく、やはり、食べ物を経口摂取しないとあらゆるところで素直に体は反応する。そりゃ、ピークに80㎏にもなった体重が50㎏を切りそうなくらいまで痩せりゃ、そんなことにもなるわな!因みに体重が40㎏を切ったらどんな病状でも「死」を覚悟しておいた方がいいそうだ。

 

 そして、お次は内視鏡室。セデーションによってきつめの麻酔で極楽に。夢心地の間に処置。今回は、結構厳しい治療をしたようだ。気が付けば快復室のベッドの上、意識も定まらないまま覚醒。千鳥足で階下の食外(食道外科)に。

 

 検査も、糖外来も、内視鏡も、外科も、何処に伺っても「美中の美」ならぬ「顔中の顔」、なかには「お久しぶり!」と声をかけてくれる若い看護師もいて、なかなか気分もいい。でも、現実問題として、まとまった医療出費がこうも重なると年金生活者には堪える。

 

 一昨日の病状悪化を切に主治医に訴える。大凡、どこの病院でも治療となると標準治療を施すが、外科手術となると時として最善の結果にならないこともある。だから、術前に懇切丁寧な説明を受けてコンセントする。患者のお相手はプロなのでお任せするしかない。

 

   でも、予後の手当てによって結果は良くも悪くにもなる。夫婦も、お付き合いも、医者と患者の関係も同じで、相性があって、たまたま初めて診ていただいた先生によって、患者の運命が決まるといっても過言ではない。

 

 これも、それも宿命、運不運でもある。幸い、当方これまであらゆる面で救われているように思える。それは両親、兄弟、学生時代、会社勤め時代、それに退職後もこうして当方を気にかけてくれる方々も同じで、こうした方大勢いることは感謝に堪えない。「みなさん、ご心配をおかけいたしております」「でも、当方、そんなに簡単にくたばりませんのでご心配なく!」

 

 折しも、昨夕、二通のメールが届いた。「あまり、体調よろしくないようで心配です、徳さんにもう一度逢いたい!」それに「初孫が産まれました、産まれてまだ2時間半です」と写真付きの嬉しく泣かせるメール。そんな人たちのためにも、当方、前を向いて頑張るしかございません。

 

 今日は心身ともに散々、主治医にいじくられましたが、妙に気分は塞がない。いじくりも、しくじりも、やりくりも、どんぐりも出会った人によってその方の運命が決まるのかもしれない。人との出会いとはそんなことかもしれない。

失笑、嘲笑、爆笑、微笑

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    いよいよ、猿江恩賜公園、赤坂サカス、錦糸公園、目黒川沿いや千鳥ヶ淵の桜が満開だ。「こっちの桜も満開だ」と、親愛なるSさんからも見事な桜の風景写真が送られてきた。「どうだ、見事ざんしょ!!」と云わんばかりの感嘆要求に、ニヤリとするS氏の顔が浮かぶ。

 

    そんな中、ヒマに任せてベッドに横になりながら参議院予算委員会の中継を眺めつつ、落ち着いた集中審議の模様に多少安堵した。とりわけ立憲サンバの磯崎委員の質問は、与党に事前予告があるにせよ、議論や答弁がかみ合っていて、コレッて、マア、マアいいんじゃねえの!と思った次第。

 

      でもね、その一方で、塚田というお馬鹿な国交副大臣の答弁はないわと失笑。「総裁、副総裁(下北)道路」とか「忖度」や「ワレの政治力は偉大なり」の連発には呆れてモノが言えない。自身が置かれているポジションの重さと内閣閣僚という立場が全く理解されていない。全般に与野党どっちもどっちらだが、このところの野党も含め閣僚、大臣や議員の質は明らかに粗製乱造により品質低下。その昔には、官僚も含めて気骨のある本当の本物の国士(師)がいたものだが、こうも国会や行政が乱れるに乱れると残念どころか情けなく、このところの事態に爆笑どころか嘲笑の連続だ。

 

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     ところで、お話はガラリと変わりますが、当方のブログは時勢ネタを千文字程度にまとめ、毎号綴ってご案内しております。ただ、その一方で「冗長で趣旨や主張が分かりづらい」といったご批判やコメントも数多く寄せられております。このこと当方とて承知の助平。だって、これね、自慰(爺)的な公開日記ですから、「どうかその点をご理解、ご容赦くだチャイね‼」のマチャミちゃん。

 

    それに休載を避けるべく、つまらぬ在庫ネタは豊富で、常時、向こう2、3か月分をご用意させていただいております。例えば、当方の趣味や自前のアイテムだけでも、「腕時計、傘、書籍、百名山、写真、カメラ、登山道具、スノーシュー、ザック、ストック、ランニングシューズ、ウエア、お名刺、皮牛くん、お手紙、かの香水の香りやサイクリングバイク・・・」など、など数多くの未公開ネタがゴザイマッスルキング。

 

    今日は、取り留めもなく脈絡のないお話になりましたが、昨日、病気仲間とお散歩の中別れ際のシーンが面白く、本日のブログのシメはこんな感じになってしまいマスダオカダ。

 

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   「なあ!徳さん、俺たち来年もこの桜を二人一緒に愛でたいもんだな!」、「ハイ、T御大とご一緒に見られるといいですナ」、「でも、どちらかに不幸があって、片割れになればその夢は叶わんな!」、「でも、逝かなくても寝たきり病人や車いすに生活になったら二人だけで会うことは出来ませんよ」、「・・・・」と互いの病状を知るがゆえに笑えず、顔を見合わせたまましばし沈黙。その後、「また今度散歩をご一緒に」と熱い握手を交わして、びっこ(←これって差別用語?)を曳くT御大に微笑みを返して別れを惜しんだ。

 

   でも、別れた後の昨夜の当方は塗炭の苦しみ。その有り様は尋常にアラズの七転八倒、家人も驚く始末で、一向に体調は依然不芳の連続。これではT御大と来春の観桜を約束しても、笑うに笑えない結末になってしまうのではないかと、内心不安がよぎった。快方への道程はまだ遠い。