Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

一夜の夢

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 野村万作、万歳、裕基と親子三代揃っての演舞を深夜アーカイブ番組でミタ!演目は「靭(うつぼ)猿」。これは2004年の番組だから、かれこれ今から15年ほど前の作品となる。

 

 万歳は、東京芸大での秀才。記憶にあるのは、朝ドラの吉岡「あぐり」(主演:田中美里)の旦那役で望月なにがし・・役だった。と、記憶している。

 

  不思議な役運びをした役者だと思っていた。やはり、血筋の通った狂言師

この番組、裕基くんが三歳の時に、祖父万作、父万歳に厳しい稽古をつけさせられて観客前に立たせるドキュメント。40分近く「キャー!きゃー!」とサルの役を演じながら、祖父との仕草のシンクロも見事だった。たった三歳でここまでできるのかと舌を巻いた。

 

   ストーリーも面白いのだが、堂々として、動きはすべて両足飛び。躾やおけいこなぞ親が一方的に子に押し付けているものだと思っていたが、どうやらそれは当方の勘違いだったらしい。

 

   観客前に立つことに自覚をさせ、�られて、叱られても師匠たちに挨拶をして、泣きながら「ハイ、次はきちんとやります!」という場面では思わずこちらも涙してしまう。芸とは押し付け、代々の芸人は、子供や弟子に厳しく稽古をつけることが自身の存在を認識させるものだと勝手に思っていたが、それほど安易なものではないと改めて痛感した次第。

 

  親以上に子が優れているのは、純粋、無垢、そして素直さが、子が親を超える力とミタ!

 

(今日のおまけ)

 大谷龍太のお名前をご存じだろうか?ことあろうかのメジャーリーガーの大谷翔平の兄である。現在はトヨタ自動車で社会人野球をしながら、チームは先ごろ全国大会への出場を決めた。

 

 この兄弟の間には長女がいる。つまり、三兄弟。翔平も龍太も、そして長女も美男美女だ。父親は社会人野球、母親はバトミントン選手、長女はバレーボール選手と絵にかいたようなスポーツ一家だ。

 

 一躍脚光を浴びている大谷翔平もさることながら、兄弟、両親、それに約束を守った日ハムの栗山監督。どなたも、大人の対応だ!彼に臆することもなく、家族はそれぞれの人格を尊重し、前面に出張らない。本当に彼を思うことは、意外にこんな簡単なことかも知れない。

 

 それにしても巷間、ウワサも絶えないがこうした子供たちを立派に育てた両親につくづく「アッパレ!!」を差し上げたい。それにしても、彼の右ひじ損傷は選手生命も奪いかねない。あの華々しいメジャー・デビューを一夜の夢に終わらせたくないと思うのは、この徳兵衛だけなのか・・・?

自立してこその自由

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   貴方はいつまでそのポジションに拘泥するのか?世情をみれば今さら申し上げるべくもないが、人間のオスは、誰彼となくなんと権力を欲しがり、そのうえ、ドン・ファンの如く女性にモテたがるのか。

 

    その一方で、仕事一筋でほかの世界を知らない中高年のカタワのオスも困ったものだ。潰しが効かないことを自覚しようとしない。再雇用や再就職にしても。それまでのキャリアを活かせるものと妄想を抱いてしまうのがこうしたオスの習性。

 

    つまり、長年染みついた経験や職場風土から脱却できないまま、いつまでも甘い儚い夢を追い続けてしまうのだ。ことあろう当方もその一人だった。

 

    趣味でも、地域でもなんでもいいから仕事以外に興味を持たない世界の末路は悲劇だ。それは子供にとっても良くない。なぜなら、そうした仕事以外のお父さんの背中を見て子供たちは成長していくからだ。  

 

   当方も年金受給者となっては、自由になるおカネがないし、ボーナスもない。だから、風呂敷を拡げたような派手な生活もできないし、カネのかかる趣味も持てない。当方がマラソンを始めたのもジョギング・クラブに入っているのも、サイクリストになっているのも、山歩きをするのも、要は、なるべくカネを掛けずに楽しんでいることに他ならない。

 

    他人にもたれかかっていては、本当の自由なぞ手に入らない。孤独になって孤立して、自立してこそ、ずっと夢見ていた本来の自由を手にすることが出来る。

 

(今日のおまけ)

   40年以上も勤め上げて、退職した時に子供に初めて褒められた。どうやら、それは家庭を守り、子供たちを育て上げたことに対する礼賛ではなかった。

 

   40年もの長きに亘って、一身専属が如く同じ会社で勤め上げたことに対して「浮気、転職や退職もせずよくもまあこれだけ長く・・・到底ぼくらの時代には考えられない」と褒めてくれたのだ。

 

    でも、今だから本当のことを言おう。転職のチャンスは2、3回あった。しかも当時の給料の倍以上の破格の条件でだった。でもそのチャンスをモノにしなかった。それは、プロ野球選手のトレードのようなもので、あまい言葉に誘われて当初はいいかもしれないが選手生活を保障してくれるものでもなかったからだ。

 

    それにハタと気づいて転職を見送った。聞こえはいいが、そんな勇気がなかったのが本音だ。

ラジオ「深夜便」

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  山に犬などのペットを連れて入山する「バカモノ」が大勢いる。ペット運動なのか衆目を集めたいのかはわからないが無恥、無知にも程がある。熊やイノシシなど害獣と呼ばれる獣は人間以上に鼻が利く。つまり、こうしたケダモノはエサ取りや危険を感じた時にこの嗅覚活かして、咄嗟に獲物や外敵に襲いかかってくる。

 

 ペットの臭いなどはすぐに峻別して近くに現れる。こちらから、自分の位置を害獣に知らせるような自殺行為だ。山や害獣の怖さを知らない「タワケモノ」は山に入るべからず。  

 

   では、ラジオ持参の登山はいいのかとの問いにお答えしよう。熊よけになるばかりか、天気予報はもとよりニュースや事故、事件などの情報が居ながらにして入手できる。そのうえ、ガリガリと音がすれば雷雲が近づいていることを知り、落雷に備えることだってできる。

 

     さて、当方の朝のお散歩のお伴は、携帯型のトランジスタラジオ。深夜から朝の5時まで犬エッチ!ケイが「ラジオ深夜便」提供してくれている。

 

    先日の番組では、鎌田實氏が名誉医院長を務める、緩和ケアやホスピスで有名な諏訪中央病院の元看護師が「看取り」を重ね、重ねての辛さを告白していた。

 

  彼女は、その虚無感から尼僧に転じ、その後結婚したことまでの経緯を、インタビュー形式でアナウンサーの質問に答えていた。

 

    尼僧は住職にはなれても自らお寺を持つこともできず檀家も持てないと男尊女卑の仏教の世界を嘆いていた。が、お寺というものの本来あるべき姿を彼女なりに説いていたので、ご興味のある方は後述の「今日のおまけ」をご一読あれ!

 

(今日のおまけ)

    このお寺は、当方と所縁がある長野県松本市にある「薬王山 東昌寺」。ここは伝統仏教宗派「曹洞宗」に所属する禅寺。この寺では、まず「つながり」として、全てのものは繋がりあって生きていると説く。つぎに「ひろまり」としてお釈迦様の教えを、多くの人々にお伝えすること、つまり布教の大切さを説く。そして最後に「ふかまり」として自己究明として禅の究極を説く。

 

 ご住職のお名前は「飯島恵道」尼僧。ご興味のある方は、是非とも「薬王山 東昌寺」のホームページをご覧あれ。

 

     ページの最後には、自己実現を妨げるような困難があるならば、共に障壁を乗り越える術を一緒に考えていくのがお寺の役割と伝えている。

 

    追って:「薬王山 東昌寺」をご案内いたしませう。

  〒390-0863  長野県松本市白板1丁目1−2 TEL : 0263-32-1494 ご住職  飯島恵道

闘病と逃病

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   必ずしも正面から向き合うことばかりが病気との闘い方ではない。自分の人生を最後まで自分らしく生きるために、治療を拒否する「逃病」という選択をする人も大勢いると聞く。   

 

   標準的治療で、余命が確保されても抗がん剤放射線治療で、極度の副作用に苦しめられることもある。「逃病」で余命が想像以上伸びることだってある。

 

    終わりは終わりとして誰しもにやって来る。その日のためにどのように生活の質(QOL)を維持し高めていくかを闘病前から考えていた方がいい。

 

  「頑張らない」ことが、自己免疫力を高めることだってある。

    例えば、在宅ホスピス緩和ケアを受けた末期がん患者のうち、約3割もの人が余命宣告より長生きするというデータもある。闘病のストレスから解放され、不安や痛みを取り除くことができれば、余命を延ばすことに繋がる。知り合いの看護師長に訊いた話だが「ホスピス」や「緩和ケア」では、「酒」も「煙草」自由に嗜むことができるそうだ。

 

 一方で、がんを放置することには相当なリスクを抱えることとなる。がんは成長を続けると、やがて腐って形が崩れ、皮膚を突き破ることがある(これを「花が咲く」という)。そして、しばらくすると臭い(腐敗臭)がきつくなる。このため何度も腫瘍部を切除する患者も多い。

 

  いやな話だが、向学のため。がんが進行すると、まず食が細くなり、毎日目に見えて痩せる。さらに進むと、今度は限られたものしか食べられなくなるので、栄養バランスが崩れて体が浮腫む。そして最後は体が食べ物や水分も受け付けられなくなって脱水症状となって、ウトウトしながら眠るように亡くなる。

 

 (今日のおまけ)

 機能不全は一度に来ない。呼吸は止まっても、心臓はしばらく鼓動を打ち続ける。爪も髪の毛も死後伸び続ける。最終的には、がんが神経まで侵食すると、鎮痛剤で和らげることしかできない。

 

     でも、多くの場合、鎮痛剤を打たなくても体が食物を受け付けなくなると同時に、脳からモルヒネが分泌されて、苦痛から解放され、まどろみながら安らかにあの世に旅立つらしい。

自分の命は自分で守る

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   先月29日の午前に新潟県阿賀野市の五頭連峰の山中で、男性とみられる2人の遺体が発見された。ゴールデン・ウィークから行方不明となっていた父子だ。大人でも小学1年生でも山は甘く見てはいけない。一昨年の同じ時期、荒船山で神奈川県の母子が転落した。ザックは見つかったが、この親子は未だに見つかっていない。

 

  この父子は見つかって良かったが、すでに親子は重なりあうように絶命していたという、およそ三週間、かなりご遺体も傷んでいたのに違いない。ご冥福を祈る。

 

    当方も経験があるから判ることだが、5月と言っても山にはまだ残雪が残り、北側の斜面はアイスバーンの状態や圧雪している箇所も多い。春山と言っても冬装備が必要となる。この親子、最初にビバークしたときに下手に体力あって帰れると軽く思っていたのが間違いの始まりかもしれない。

 

 もし、どうしてよいか判らない時は、まず体力を温存することだ。むやみに動かない方が賢明だ。

 

    道迷いで一番やってはいけないこと、それは川沿いや沢沿いを下ることだ。何れ海に辿りつくだろうタカを括っていると大変な遭難事故に陥る。来た道を戻り(登り)いち早く尾根に出ることが鉄則だ。

 

     昔は、山を知っている経験豊富なオヤジさんたちや地元の衆がいっぱい入山していて、軽装で入る親子連れなんて見た時などは「お前ら山を舐めているのか!」「とっとと帰れ!」などよく咎められたものだ。

 

   経験、知識を積み危機や危険に遭遇した時は、冷静に行動すること重要だ。これが簡単そうでなかなかできない。山登りをこれから目指そうとする人は、必ず経験者を同伴されて山旅を楽しんでもらいたい。

 

(今日のおまけ)

 西の御庭と言えば先日3年ぶりに登った「高尾山」。これが山男の心に火をつけた。今度は東の庭園「筑波山」を踏破する。夜間登山も行ったし真冬に登ったこともあるお山だ。 

 

   ただ、低山とはいえ、ここも「日本百名山」の一座。次号以降、先日登った「ふたたびお山歩」なる山紀行を掲載する予定。山ガ、山ボのみなさん、乞うご期待!