Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

トカゲの尻尾切り

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  今や渦中の人、佐川前国税庁長官。この煽りを受けて「佐川急便」も困惑しているらしい。その上、佐川氏に係る風評被害もあるとか?でも、この「佐川急便」も、その昔、自由民主党経世会金丸信会長に5億円のヤミ献金を贈った汚職事件の当事者。そのほかでは、1981年にフランスのパリで起きた佐川一政による殺人事件であるパリ人肉事件を思い出す。

 

 どうもこの「SAGAWA」という響き、験が悪い。さて、あっ!そう財務大臣は、佐川前国税庁長官への理財局長からの転出は「適材適所」と云い続け、今回の改ざんが発覚した後も詫びはしたものの頭も下げない尊大な態度に「悪代官」と揶揄されている。

 

 今回の件、普通に考えれば良くわかる。省庁の中でもトップクラスの財務省のエリート中のエリートの佐川氏が国会答弁で「売買契約締結をもって事案は終了しているので、記録が残っていない。速やかに事業終了で廃棄していると思う」などと、家族や将来を賭してでも誰でも分るような空々しいウソをついた。彼にとって何の利益になるのか?結局、独り悪者扱いをされて長官の座を辞して退職した。

 

 その上、彼は今後の証人喚問で、野党側から「誰から、何のために、どういう指示を受けたのか?」と詰問、追及されるのは必至。ここで口を割れば彼は殺されるかもしれないし、その前に自殺するかも知れない。その上家族にも危害が及ぶかも知れない。だから一身に自分の指示で改ざんをさせたと、きっと言い張るだろう。

 

 残尿感の残る証人喚問に国民も野党も首相や財務大臣への不信を募らせ、ひょっとしたら最終的には、平成一大疑獄事件として内閣総辞職となるやも知れない。

 

 でも、徳兵衛このタイミングでの①米国務長官の突然の解任、②オウム真理教事件の死刑確定囚の東京拘置所からの地方移送、③李明博の検察への出頭、④英国への亡命ロシア人の暗殺、⑤連帯ユニオン関西生コン支部に対する大阪府警奈良県警強制捜査、⑥韓国での安倍首相の退陣要求デモ。明らかに、②は改ざん事件の目くらまし、⑤は野党議員(つっちーモト議員)に対する報復、⑥は(反日)外圧をネタに、どれもが本件に絡んでいる。残りにも関連があるかも知れない、今や日本も含め世界は大きな潮目を迎えているかもしれない。

 

(今日のおまけ)

 2019年5月1日の天皇即位で、また改元となる。 昭和生まれの当方、西暦と和暦が上手くリンクしない。でも、簡単な引き直し方がある。 西暦の下二桁から25を引くと昭和何年かが求められる。ただし2001年以降の場合は(3桁めに100をおく)。

 ※1980年の場合 80-25=55 昭和55年、

       2015年の場合 115-25=90 昭和90年

 

   この計算を逆にし、昭和○年+25で西暦の下2桁も出せる。

 ※昭和3年生まれの母は3+25=28 1928年生まれとなる。

 

   平成を昭和で引き直すと、昭和の63年を足す。

 ※平成26年の場合 26+63=89 昭和89年

サクラ咲く

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   ご退院おめでとうございます。本日、N御大が1月末に入院して以来40日余りの院内生活を終えて退院(出所)する。入院の間、オリンピックはもとよりさまざまな事件やイベントがあった。しばし自宅療養をしながら通院生活とはなるが、やはり自宅での生活は格別なものだろう。本人もさることながらご家族も安堵しているのに違いない。

 

 そう考えてみると、近くに総合病院や大学病院があればいいが、過疎の地域や田舎ではそうもいかない。病院に限らず、学校、役所や保育園などの社会的なインフラが整備されていないところでは、子育てはもとよりうかうか病気にもなれない。

 

 ただ、あまり整備が進んでしまうと街自体が整然として画一的な街並みになってしまう。ニュータウンをはじめ新興住宅街やベットタウンと呼ばれるところにそうした傾向がある。 その最たる市は「つくば学園都市」だ。研究施設を中心にしてマッチ箱のような住宅が並ぶ。

 

 居酒屋、赤ちょうちんや娯楽施設がない分仕事が捗るとの声も聴かれるが、特筆すべきは自殺者の多さだ。毎日が住居と仕事場への往復。それでは何の楽しみもなく気が休まらない。やはり、少しは気の抜ける水の淀んだ居場所がなければ、人間も腐ってしまうのではないか?

 

 ヤマメやイワナならともかく白河の水が清ければ清すぎるほど、鯉や鮒は住みにくい。

 

 話は変わるが「つくばマラソン」(フルマラソン)はこうした街並みの中を周回する。記録は出やすいが、景色が一向に変化しない。つまらないマラソンの一つだ。マラソンも山登りもやはりコースやルートはワンウエイがいい。

 

 N御大、これから電車で仕事としての通院。通院にそれほど時間はかからないにしても、同じ生活の繰り返しでは気が滅入ってしまう。早く日常に慣れて、たまには当方と一緒に赤ちょうちんでの道草でもしようと思っている。早い快復を祈りたい。

 

(今日のおまけ)

 今や小学生でも「忖度(ソンタク)」を口にする。アカヒ新聞のスクープによりここ1週間、世間や政情が騒がしくなってきた。一年もかけて野党が切り込んでも打開できなかった解明事件。財務省に限らず会計検査院、地検特捜部も政治家もダンマリを決めこんで、300以上の公文書に改ざんがあることに口を噤んだ。

 

 森友事件の籠池夫妻は接見なしの世界で収監されているが、加計、スパコンの含水炭素事案(もりそば、かけそば、スパゲテイ)に至っては捜査のメスさえ入らない。この国は、本当の民主主義国家なのか?三権分立は確立していると言えるのか?北朝鮮や中国までも及ばない腐敗国家なのかも知れない。政治家も官僚も何の矜持を持たず正義もない。いまの子供たちはそんな世界を目の当たりにしながら成長していく。それでも胸が張れるか大人たちよ!

 

驚愕!「身体完全同一性障害」

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  「性同一障害」については、新聞記事などで良く目にし、この障害に基づく医療措置も公に認められるなど、障害に対する認知や障害者に対する理解も深まりつつあるが、つい最近「身体完全同一性障害」なる記事を読んだ。読むにつれ「まさか!そんなことが・・・」と驚きを隠せなかった。

 

 具体的いうと「五体満足」な状態に違和感を持ち、自分の身体の一部を切断したい願望に囚われるという病気。   以下、美馬 達哉(立命館大学教授)解説引用して当方なりにその要約を伝えたい。

 

 【私たちが「正常」や「健康」と信じている価値観を揺さぶる病がある。 自分の手や足が余分で不快な異物と感じ、それを切り落とすことを心から望む「身体完全同一性障害(BIID)」という病気もその一つ。

 

 この種の病気となった患者は、幼少期から特定の身体の部位(たとえば足)が自分の身体の一部ではないという感覚をもっており、切り落とそうと努力する。切り落とすことの次善の策として不用な方の膝を強く曲げて縛って片足で歩くほうが、気分が良いという人もいる。

 

 だが、どんなに病院に頼み込んでも、そんな切断手術を喜んでしてくれる外科医はいない。   それでは、どうやって切り落とすのか?

 

 スーパーでドライアイスを大量に買ってきてバケツに詰め込んで、不用な足をバケツに突っ込んで、半日かけて凍らせるという。痛みはあるようだが、冷たさによって感覚は麻痺するらしい。凍傷になった頃合いを見計らって救急病院に駆け込んで切断手術を受けるという。

 

 米国では、銃で自分の足を撃って、暴発の事故に遭ったと説明して、救急病院で切断してもらったケースもあるという。

 

    逆に言えば、奇妙に聞こえるだろうが、「五体満足」な身体であることによって生じる苦しみがそれだけ強いということだ。   それがわかるきっかけになったのは「幻肢」という現象だ。事故や外科治療のために手足を切断された人の一部は、存在しないはずの手足がまだ存在している感覚を持っていたり、存在しない手足に痛みを感じたりする。痛みがある場合には「幻肢痛」と呼ばれる。

 

  こうした幻肢は、実際に存在する身体の障害の状態と脳内の身体イメージとがずれてしまった結果と考えられている。実際の身体と身体イメージの間にずれが、不快や痛みとして感じられるようだ。

 

  脳内の身体イメージと実際の身体のずれが病を引き起こしているとすれば、その苦しみを取り除くにはそのずれを埋める治療が必要となるだろう。 とはいえ、脳内の身体イメージが「障害者」だから、それに合わせて実際の身体をわざと障害者にしてしまう「治療」には、どんなに当事者である本人が満足していたとしても、多くの人が倫理的な戸惑いを感じてしまうだろう。

 

(今日のおまけ)

  余りの驚愕な現実に言葉もない。折しも現在、平昌パラリンピックが開催中。交通事故などの不慮の事故や病気で四肢をなくしたり、機能マヒが起こってもなお挑戦し続ける選手たち。そうした境遇にあっても自暴自棄にならずメゲナイ精神力には感服させられる。

 

 人生至る所に青山あり。思いもよらずそんなアクシデントに見舞われた方々には現実に向き合う力があるのだと思う。今、闘病中の患者さんやケガを治療中の方々の快復を祈りつつ、こうした人にこそ「福神」や「徳神」のご加護がありますように・・・。

定型句

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   不祥事が発生した際、信用を失いかけたその組織自身が調査をするよりも、中立公正な第三者が調査をするほうが事実関係、原因究明等の信頼性が高まり説明責任が尽くせリスク回避ができるということで、どこでも「第三者委員会」の設置が定型句のように大流行だ。

 

  しかし、誰がその委員を決定し、委員とその当事者や組織が過去の履歴も含め全く関わっていないということをどのようにして証明するのか?委員メンバーが弁護士、学識経験者や評論家であっても独立性・中立性・専門性だということを誰がジャッジし担保するのか?

 

  そう考えると、全ての利害関係人のために公正、公平で中立的な「第三者委員会」など、この世に存在しないのではないかと思ってしまう。でも、当事者や組織が逃げを打つには格好のツールだ。あの舛添前都知事がリオ・オリンピックの閉会式に五輪旗をどうしても引き継ぎたくて、不正の解明に「第三者委員会を設けて原因解明を・・・」と記者団に向かって、連呼し辞任を回避しようとしたのもその類。その時、記者団から「ご自身がメンバーを選任した段階で、『第三者』ではないのでは?」と、この場面でも疑問の声が上がった。

 

  それでも、一旦この委員会から不祥事の事実、原因が公表されると、事実認定されたごとく思ってしまうのも不思議だ。そしてこの「第三者委員会報告書」をもとに一旦報道がされると、この中身がいかにもオーソライズされたが如く見えてしまうのも不思議だ。   最近起きた、東芝、日産などの不祥事、学校のイジメ自殺・事件、今回の女子レスリングのパワハラ問題にしても、定型句のようにこの「第三者委員会」が登場する。内容をしっかりと読み返さないと当事者や組織に都合のいいようにやられてしまうノダ。

 

(今日のおまけ)

 「対話のための対話はしない」と北に向けて日米が揃って口にしているが、今回の南の北への訪朝は「対話のための対話」をしているようで仕方がない。現実的にみると「終わりの始まりが始まった」のか「始まりの終わり」かも知れない。

 

  ※ 「今は終わりではない。これは終わりの始まりですらない。しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。」(ウィンストン・チャーチル

守屋 浩

 

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  姓は「金田」、名は「貯(た)まる」は、昔あったどこそこやの金融機関のマスコットの名前。愛称は「たまるくん」、これと吉永小百合主演映画「北の桜守」にヒントを得て、今日は「まもる君」でブログをつなげることに・・・・。

 

 この「守」という漢字には、幅広い意味があり、由来も多岐に亘る。最初に浮かぶのは、「耐える」や「持ちこたえる」の意味、例えば「保守」が代表的な使われ方だ。次に、「防ぎ守る」「守り備え」という意味で、例えば「専守」や「守備」といった使われ方がある。

 

 そのほかでは、敢えて「かみ」と呼んで昔の官名で一国の長官を指すこともある。「守」と同じ読み方で他の漢字には「護」、「(守)衛」などもあるが、こちらは「防備」や「役目」「職務」といった意味合いで使われることが多い。

 

 でも「守」の漢字には、「保護する」や「見張る」、「番をする」といった意味が一番しっくり来るような気がする。それに「看病」といった意味合いもある。冒頭の桜守と言えば、桜の面倒を見ながら樹を見張りながら保護する人となる。このほかでは、温泉や源泉を管理する「湯守」や「子守」などもこれにあたる。

 

    これからも分るように主体(当事者)より、それを「守(お世話)」する方々によほどの信念、根気や体力がなければ、この「守」は長続きしない。夫婦や親子同士もそうだ。夫は妻を守り、妻は夫を守る。幼子の面倒を見るのは両親の務めであって、子がお年寄りとなった両親のお世話をするのもまた然りである。

 

 この「守」の反対には、「放棄」や「虐待」などがある。育児(介護)放棄、幼児(イジメ・高齢者)虐待、尊属殺人と、最近ヤケにこうした報道が多いことには嫌気がさす。「守り役」の務めである「役目」、「職務」や「責任」を守役自身が放棄しだすと、この世は混乱するばかりだ。国を守る一国の長、地町村を守る首長、会社を守る社長、家を守る家長や学校を守る(教)師などに、「守」の本来の役割と意味を、もう一度、考えてもらいたいものだ。

 

 (今日のおまけ)

 困ったときの神頼みで神社仏閣の「お守り」を持ってお祈りするばかりでは、何事も前には進まない。昔、懐かしい過去の栄華を振り返るよりは、しっかりと足元の現実を見つめて、丁寧に一つひとつを片付けていくしかない。時は前に進む、そして秒針は戻らない・・・

 

 余談ですが。これまで当方くだらぬ願い事が多すぎて「お守り」が溜まるに溜まって困り果てたことがございました。ゴミと一緒に捨てるのも気が引け、お焚き上げをと「○○寺のお守り」を近所のお寺に返納しようとしたところ、ご住職からお寺の「お守り」には宗派があるのでその(宗派の)お寺でしか納められないとのこと。

 

  祈願が成就してお寺の「お守り」を返納する際は、充分お気を付け下さいませ。