Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

GPS

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 子供や認知症患者の見守りに、浮気追跡に、そして車泥や薬物の裏取引の証拠押えに使われて全地球測位システム(GPS)の犯罪捜査利用は、プライバシーや人権を犯す虞があるとの理由から、裁判所の令状なしにこれを使った捜査ができないと最高裁の判決が下った。

 

 ところで、恋人にスマホを見られて浮気がバレた、といった話はよく聞く。以前、「カレログ」というアプリが話題を集め、販売中止になり、挙句の果てにウイルス認定された。このアプリをインストールしたAndroid端末の(居)場所を遠隔地から確認できるのが特徴。また、端末のバッテリー残量も表示されるので、電池が切れていたとの言い訳もできない。そのうえ通話記録やインストールした他のアプリまでわかる恐怖のアプリだった。現在、このアプリは姿を消しほっとした方々も多いだろう。

 

 ところが、さらに凶悪なアプリが登場。「mSPY」(http://www.mspy.jp/)は、広範囲にわたって遠隔地の端末を監視するアプリだ。スマホ版もあり、AndroidiPhoneに対応している。アプリをインストールされた端末を使うと、遠隔地のPCで何もかもが確認できる。通話した場所や時間、通話時間、相手の名前と通話回数は勿論のこと、浮気相手からの着信を拒否させることだって可能だ。SMS・メールの履歴も確認できるし、GPS機能で現在の居場所を特定するのも簡単だ。エリアを指定して、そこに立ち入ったらメールでアラートをもらうこともできるらしい。世紀の鬼畜のアプリだ。

 

 最近ではLINEもサポートし、メッセージのやりとりだけでなく、相手の名前や電話番号までわかる。もし、このmSPYアプリが入った端末を持たされてしまったら、プライバシーは丸裸になること間違いない。恋人の家にスマホを1日忘れ置いてしまった場合などに、そっとこのアプリが仕込まれる可能性も否定できない。もっと恐ろしいのは、「mSPY」をプリインストールしたスマホが発売されたことだ。あ〜恐ろしや、恐ろしや!!

 

(今日のおまけ)

 こうした判決や記事をを見るにつけ、この徳兵衛、やましい点などさらさらないが、こんなアプリを入れ込まれたり、プリインストールしたスマホでも持たされた日には、何処で呑んでいる、誰と逢つて酔っているなどと監視されることになる。「知らぬが仏」というように、知らない方が円満に日常を送ることができる。「後ろ指、指され組」の徳兵衛、後ろめたい気持ちはコレぽっちもないが、急にソワソワして周囲やカバンの中が心配になってきた。 

 ほかにもGPSロガー「i-gotU」も、なかなかの曲者。皆さん身の回りにご注意あそばされ!

ウェザー・コック

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 訳して「風見鶏」。ヨーロッパの家屋の屋根に立つ鶏型の風向計のことだが、魔除けという説もある。どうやら、政権は動乱期を迎えたようだ。籠池(当事者)、鴻池、稲田、安倍(自民党)、昭恵(私人)、松井(府知事・維新)、玉木(民進)、小池(共産)に菅野・元(フリージャーナリスト)まで出演のフルキャスト。これに近畿財務局までもが加わり主演が日替わりで台詞廻しが終わらぬうちに、いつのまにか主演が交代してしまう有様。それに目まぐるしくシーンが変わるため観客も落ち着いて事の成り行き見守れない。

 

 事の発端は豊中市の議員が持ち上げた話だが、これには大きな仕掛けがあると誰もが思う。民進党の追及に比べ共産党がやけに舌鋒鋭く証拠や証跡を握っているようにも見える。衆議院解散か?総理辞任か?狙いは何か?何故このタイミングでこうした疑獄が明らかになったのか?真相は闇の中だ。ただ、舞台裏では財務局まで巻き込んだ不穏な動きがあることだけは事実のようだ。何もなければそのまま済んでしまった話だが、ここにきて事態は風雲急を告げ、各党派の議員もまるで鶏のように頭を振り始めた。夜も眠れない日々を過ごしている議員や官僚もいるはずだ。

 

 よもや海外勢力や国内反動分子の策略とは思いたくないが、打つ手、打つ手が裏目に出て、参考人招致が一夜にして証人喚問に替わるなど与党もどん詰まりだ。こうした動きを機敏に感知して風を読みながら立ち位置を変えるマスコミや関係者も多い。そのことは当事者の発言を聞いてもニュースを見ても良く分かる。

 

 風見鶏とは、ネガティブな表現で八方美人とも云われるが、逆に風向きを見ながら常に周囲や環境変化に対応できる柔軟性を評価し、ポジティブな表現に使われることもある。 

 さて、このシナリオの作家とその思惑は何か?キャストがキャストだけにそう簡単に収まる気配もない。もしかしたら、与党の内部抗争を野党が演出しているようにも見える。豊洲問題もそうだが風向きを見ながら動いている表舞台には絶対に現れない本当のフィクサーは誰なのか。庶民、平民には先行きが見えないだけに、この一件の今後の先行きの展開は興味津々だ。

 

(今日のおまけ)

 さよならから本物の人生は始まるんだといったフレーズで始まる「さよならの力(大人の流儀)」を読んだ。是非一度読んでいただきたいので、その前書きを紹介する。「私は20代と30代に別離を経験した。一人は弟であり、もう一人は前妻であった。なぜ、彼女がこんな目にと思った。その動揺は、なぜ自分だけが?という感情になった。ところでそういうものに向き合っているとやがて別離を経験した人にしか見えないものが見えて来る。それは彼等が生きていた時間への慈しみであり、生き抜くしかないという自分への叱咤かもしれない・・・・」

 作家は故夏目雅子(急性白血病にて病死)の元夫で「憂鬱」という漢字を彼女の前でさらっと書いた、かの「伊集院静」である。また一人の俳優「おみやさん」こと「渡瀬恒彦」が、「さようなら」だけの言葉を残して逝ってしまつた。

部活敬語

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 前にも書いたかも知れないが「了解っす!」とか「了解です。」は、メールの返信でよく使うものだから、ついつい口語でも「承知しました」とか「かしこまりました」と云えなくなってしまう。それに語尾伸ばし「お疲れ〜す」も注意しましょうね、そこの親父さんも。もし、そのオヤジが「了解っす!」と云ったら「カ、ナ、リ、キモクネェイ?」 

 

 さて、最近知ったことだが「部活敬語」とやらがあるらしい。「おッス(押忍)」もそうだが、先輩に対して「あざーっす」(ありがとうございます)や「いい天気っすよね」のように部活の上下関係では「〜っす」を使って自分をへりくだって見せる。「そっすね」はその代表格。また「ですよねっ!」、「そうなんですか〜あ!」も、響きはよくても耳障りな言葉だ。

 

 この延長線上に、社会人にもなっても「っていうか」、「超〜」や「それうける」などとやられた日にはこちらもどう答えて良いか分らなくなる。でも中にはそれを武器に女性から「〜なっちゃいますよ。」、「え〜困ります。」、「〜方から、」や「お先で〜す。」などとやられると、どれもこれも使い方としては不適切で不謹慎だが、それに女性ならではのしぐさが加わると、どんなオカメちゃんでも、なぜか可愛らしくすべてを許容してしまう。

 

 一方、そうはいってもこちら側も、似たり寄ったり。「はい!はい!」とか「あ〜忙しい、忙しっ!」を連発していることに気づかない。そうした言葉に互いが耳障りと思いつつ、いつの間にかそうした世界に慣らされてる自分も「ヤバクネ〜!!」。

 

(今日のおまけ)

 日記を書くこともメモをとることも脳の活性化には良くないと、毎日、日記をつけていた母からよく言われた。なぜなら、それは記憶に頼らず記録に頼ってしまい脳細胞の劣化を加速すると云われた。そうしてだんだんと知恵が回らなくなり、ボケも加速する。

 

 例えば、新聞掲載記事に頼って、革靴や足にいくら消臭スプレーをしても、毎日、靴下を買えても、足の臭さは消えない。靴を買い替えるのは簡単だが、知恵が回れば、そうした記事(記録)がなくても新婚当時の経験が蘇れば、帰宅後に、まず足を洗い、靴の中敷きをこまめに替えることで足の臭さはある程度、解消(臭)される。

 

 これ、俺「的(テキ)」な考えだ「ッツウノ⤵」!。でも、例えが悪く、そのうえ論旨も迷走。今日のおまけがかえって内容を判りずらくさせている。今日のテーマは何がいいたいのか?何か「ヘンジャネェ⤴」?。

 

え〜、あ〜症候群

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 こうした耳障りの話し方や説明をする人がいる。こうした話し方をする人は老若に限らず地位にも学歴にも影響されにくく圧倒的に男性に多い。これは治療困難な「話し方の病」。話の切れ目やセンテンスの区切りに「え〜、あ〜」などの不要な間投詞を無意識に差し込んでしまう疾患だ。

 

 このように母音を引きずる著名人としては、その昔の「菅直人」。絶体にそうした喋りをしないのが「池上彰」と「林修」。説明や話の内容に自信があっても、緊張感やあがりと違って、間投詞は感嘆詞に近い響きをもっているものだから聴いている方も聴きづらい。これは話し手の心の動きに起因している。すなわち静寂や無言の間を妙に恐れていることに他ならない。

 

 原因としては①早く重圧から逃れ終わらせたい場合や、②無難にスムーズに終わらせたい時、③いい言葉や忘れている言葉を思い出そうとするが浮かばないケース、④心が安定しないまま記憶が飛んでしまう状況の中で、頭の整理が追いつけない時に発症する。

 

 例えば、新郎の父親が親族代表で登壇して挨拶する場合、総会や説明会で議案説明やプレゼンテーションをする場合、そして極めつけは女房に浮気や隠し事がばれて詰問された時に言葉がつまるような場合に、「え〜、あ〜、その〜」を連発してしまう。

 

 徳兵衛もそうだが、自己流で考えた治し方がある。一つ目は、話のポイントを説明する前に何点か上げて聞き手に伝えてしまう。二つ目はゆっくり目に話す。次の句が出てくるまで「ここがポイントです」や「ここが重要な箇所になります」などといって時間を稼ぐ。三つ目は、それでも駄目なら「カンペ」を用意して読み上げるが、絶体に冗長なカンペは用意しないこと。自分でもどこを読んでいるのか判らなくなり「え〜、あ〜、その〜」を繰り返すことになりかねないのでご注意あれ。

 

(今日のおまけ)

 毎朝、仏壇と神棚に手を合わせ、線香、ローソクに火を灯し、お神酒を掲げることが毎日の習慣になっている。酒や水は失火の原因とはならないが、線香や蝋燭は失火の原因となるため夫婦が呆ける前に我が家では、以前から電池式のものを利用している。そんなある日、妙なことが起きることに気がついた。仏壇奥の父母の位牌が何度後ろに下げても前へ少しづつ動いてくる。特に母の位牌はかなり前に出て来る。ビー玉を使って仏壇内、畳や床の傾斜を測ってみても、全く異常はない。

 

 父母ともこの世に未練があって、成仏できずに今生に戻ろうとしているのか?それとも「前進、前進また前進」と、あの世から徳兵衛の家族にエールを送っているのか。いまだかってその原因は判然としない。「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・・・」

 

バイプレイヤー

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 親方様を支える軍師や社長をサポートし黒子に徹する副社長や専務などを脇役という。出張らず、大将より前に出ず、周囲の理解や時に敵将とも直談判できる器量や力量を持つ者の代名詞でもある。政治の世界でいえば、誰あろう、安部首相を影で支える菅義偉内閣官房長官である。菅氏は、豪雪の秋田から単身上京して政治家を志した苦労人でもある。だからこそ「影の総理」と称されている。民主党時代の菅直人とは雲泥の差だ。

 

 この影の権力者によって国や組織の盛衰が一挙に決まってしまう。№2の出来如何によって闘いを凌げないかもしれない。戦国時代でいえば、徳川家康に仕えた本田正信のような重鎮や参謀の存在がなければ、開府以来265年にも及ぶ江戸時代は訪れなかっただろう。家康の格言とされた一節も正信の言葉とされている。「百姓共をば、死なぬように生きぬようにと合点いたし収納申し付くるよう」とは、「生かさず殺さず」の意味ではなく、「百姓たちが死なないように生きないように(彼らが食べる分と営農費と翌年の種もみを残して、残りは年貢ですべて採り上げる)という意味を百姓によく理解させて年貢を納めさせるよう」と、このことを百姓とお上が相互理解したうえで、ことを進めるようにとの意味である。さもなくば身近の妻子が憂き目に会うということを示唆した名言でもある。

 

 このように、軍師、参謀、専務、副知事等がしっかりとした先見性と洞察力をもっていなければ、たちまち組織は崩壊する。典型的な例が阪神のピッチャー江本が言い放った「ベンチがアホやから野球がでけへん」の一言で、一瞬にしてチーム(現場)が崩壊した。当時のトップは岡崎球団社長で、現場監督でもあった迷脇役は中西(太)監督だった。

 

(今日のおまけ)

 野球もサッカーもスポーツといえども一種の興行・エンターテイメントだ。昔の大相撲やプロレスとは違い真剣勝負である。その真剣勝負がドラマや芝居仕立のように進むとファンやサポーターはこの上なく満悦する。先日のWBCの侍ジャパンとオランダの総力戦こそ、最近になく見ごたえのあったメークドラマ。時間が経つのも忘れて深夜12時過ぎまでテレビに見入ってしまった。今にして思えば、日本が脇役だったのかオランダが脇役だったのかは判らないが、どちらにしてもどちらかが名脇役には違いない。その脇役が今年のWBCに優勝でもしたら、この上ない興奮が味わえる。

 

 それにしても、3月11日(土)のJ1サッカー、ヴァンフォーレVSレッズ(埼玉スタジアム)、1-4で甲府の完敗した三文試合。後半の戦いぶりもそうだが、この点差では徳兵衛地元の甲府は主役浦和の脇役にすらなれない。見事な完敗に乾杯!!唖然、茫然とした爽やかな一戦だったと皮肉りたい。J1仙台に在籍していたレッズの武藤が東日本大震災から丁度6年目のこの日にゴールを決めたのも何か特別な想いがあったのに違いない。